まどどブログ

普通の男子大学生が、有名作家になるか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.03.23(残10日) 歌と魂について

2022.03.22

あと10日

 

 このルーティーンは一日の始まりに脳へ血潮を共有するためのものであったはずだ。なぜ一日の終わりに重い瞼に抗いつつ記しているのか。まったく理解に苦しむ。

 

  • 「歌う」という魂の表出

 人は歌う。歌う生物というのは人に限らないようだが、少なくとも人間という種族は歌うことが出来る。では、なぜ歌うのか。歌うとは何か。

 そもそも歌とは何か。歌とは表現である。私が単語を連ねるように、また俳人が十三文字に世界を包み込むように、漫画家が天地を想像するように、歌もまた人間の身から出た表現に他ならない。旋律を以て、何かを表現しているのだ。

 では何を表現しているのか。それは恐らく、視覚に拠らない、感性により近いものなのだと思う。作家は表現手法として文を用いる。俳人歌人は表現手法として語を用いる。画家は絵を。漫画家は戯画を。多くの表現とは視覚情報によって、理知的に解されるものであるような気が今の私にはしている。

 それを外れるのが旋律である。理知に留まらない、どこか人間の本性を揺さぶるようなもの。それが旋律であり、音楽である。そして歌とは、その旋律の担い手として自身を使役している。平たく言えば、自身を楽器と為して演奏している。その手法によって、視覚情報は表現から完全に外れていく。

 同じ旋律でも、楽器と歌とは根底からして異なるであろう。楽器であれば視覚の介入の余地がある。基本的に——琵琶法師でも無ければ——見えるものを操作しているのだから。歌は違う。目には見えないもの。自身の視界からは認識できない何か。見えないけれど、間違いなく腹の奥底を揺れ動かすもの。それが歌なのだ。

 だから歌は魂に最も親しいものであるように思える。見えない。どこから声が出ているのか、理知的には解釈できない。しかし疑う余地もなく腹は鼓動し、感情は旋律に乗る。理知から最も離れたもの。それはきっと、魂であるはずだ。

 私は今度から、魂を歌に紹介したいと思っている。

 

 ねむい。いや、この、十五分程度で何か書き上げるのが、ルーティーンとしては丁度良いかもしれない。長々と二時間も費やすような代物ではない。