2022.03.28
あと4日
不思議と穏やかな心地だ。例えるなら暮れゆく海。死を前にした者はこのようになると仮説を以前立てたが、なるほどそれは一定の正確性を持つようだ。
- 苔
私はSNS中毒なのでこの間もずっとTwitterの沼に沈み続けていた。そしたらこのようなツイートを発見した。これ。
https://twitter.com/ciotan/status/1507270600414269445?s=20&t=iD1KLoi2Kq5LLrs8Hxchzg
目と耳に地雷を複数埋め込まれ、一挙に作動されたかのようだった。私の今とは則ちこれである。恥ずかしながら、この状態で一年間、正確には十ヶ月も生きながらえてしまったのだ。なんという恥さらしか。
こういうことなのだ。私は苔になっていた。苔に絵は描けないし、小説もまた手出し出来ない。苔は手を持たないのだから。私は知らず識らずのうち、轢かれるだけでは飽き足らず、手すら切断してしまったようだった。
深く自省を促したいと思う。もう地獄の業火は私を飲み込まんとしている。その業火は、これまで以上に私の自己そのものを灰へ帰さんと試みるであろう。その中でなお、その熱に苦しみながらも「私」を保ち続けるには、決して苔で居続けることは赦されない。子供でなければならない。どれほど醜悪であろうとも、何かを創り続けて世に出さなければならない。かの見苦しく傲慢な生き物に、私は回帰しなければならない。かの愚劣な生物は、自身の作品がどれほど腐っていようとも、恐れず周囲に放っていたはずだ。私とて、幼子と同様である。であれば、振る舞いもまた幼子を見習わなければならない。
どうせ私に技術はない。これまでの人生で創作には手を出せなかったのだから。ニュー・フロンティアなのだから。ニュー・フロンティアなのであれば、とにかく創らなければ。いや、私はそもそも創りたいはずだ。それに多少の痛みが加わろうとも、私は痛みを苦しみと捉えようか。やってみなければ、わからないはずだ。
こうして私は四月一日を待つ。先送り、か。その可能性は高い。四月一日を迎えようと何もしない可能性は否定できない。それはまた、私の責任だ。受難を拒むのならば、その先の破滅もまた、甘受しなければならない。