まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.03.30(残2日) 断食について

2022.03.30

あと2日

 

 出来れば小説でも一筆、と思っていたのだが、どうにも暇がない。暇は作り出すものであろうか。それもまた確かなのだが、せめてこの二日間だけは、憂き世を忘れていたいのだ。

 

  • 断食、穏やかな鎌

 ところで断食とは恐ろしい。あれは簡単に命を奪う。飢えを感じるのはほんの僅かな時で、それが過ぎ去って仕舞えば、ただ身体の重くなるのを見ているのみである。何を感じることもない。飢えも乾きも、途方も無い糖への渇望も、何も生まれない。何も声を上げない。何をすることもなく、何も出来ず、ただ身体は大地から遠ざかる術を失う。外出せず室内で過ごすのあれば、もはや眠いのか、それとも動けなくなっているのか、その区別すら付くこともない。そうやってただ内側から活力は損なわれ、床と融合し、そのまま時を移す。たったそれだけなのだ。そしてそのまま、行き着くべきところに行き着く。

 

  • 自殺には断食

 私は断食を死する手段として高く評価している。あれは他の瞬発的な衝動と異なり、揺るぎない魂の求めによって命を遠ざけるものである。首吊りや飛び降りというのは、仮に入念な計画を立てていようとも、最終的に死をもたらすのは何らかの衝動によって突き動かされた行動に過ぎない。死を決定づけるのは、飛び降りたその瞬間に他ならない。死はあくまで単発的で、衝動的なものに留まってしまう。

 一方で、断食は期間として死に意味を持つ。何日も何日も、ただ死だけを思って、死を慕って、死を待つ。断食を決めたその時から、死への恋は始まっている。そしてそれを何日も続けて、理性によって接近を試み続けて、ようやく死は成就するのだ。おお、なんと崇高なことか。この崇高さこそ、人間を人間たらしめるものなのだ。最後まで人間としての生を堅持する。何と美しいことか。

 また、断食は悔いすら残さない。首吊りや飛び降りであれば、その瞬間、生への執着が蘇り、強く悔いつつ命を閉じる、という状況も考えられる。自身の信念を裏切るという点で、これは醜いものと評価すべきだろう。断食はその醜さをも跳ね返す。断食は死に期間を持つので、仮に悔いるようであれば、いつでも断食は停止できる。死に至るまでこの行為を継続するのは、この生に対する執念を一切持たない場合に限る。つまり、悔いの残る余地が無いのだ。これもまた、彼岸に相応しい。

 畢竟、自殺には断食が良い。

 

 とはいえ、前述のように、断食は苦痛に乏しい。容易く死を招く行為である。注意せねば。