まどどブログ

普通の男子大学生が、有名作家になるか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.03.31 宣戦

2022.03.31

鳥辺野に待つか。

いいえ、浮舟のように。

 

 死んでしまう前に、一つばかり小説でも書き遺しておこうと思ったのに、なんともうこんな時間である。明日のことを考えればこれから記すのは賢明ではない。

 どうしても、今日思いついてしまったのだ。突如として起承転結、物語の梗概が脳裏に走った。それなのに書けない。もうこんな時間だから。

 これが昨日であれば、眠りを献げていただろうに。あるいは一週間前であれば、もはや何を気に留めることもなく書き殴っていただろうに。

 惜しいことだ。

 

 ああ。ああ、ほんとうに悔しい。悔し涙が止まらない。視界が滲んでしまって、記述もなんだか少しばかり遅いように感じる。私からこの涙がどのような色をしているか。そんなこと見えないが、きっと黒く、赤く照っていることであろう。例えば映画に涙するような、水晶の涙でもないし、恋破れたガラスの涙でもない。単に、手の届かぬところに過去が遠く消え去ってしまうことへの悔い。恨み。そういう、穢れの涙だ。本当ならば流す必要すらない、そういう涙なんだ。

 わかるか、この苦しみを。私はこの二十二年間、ほんとうに楽しかった。苦労も挫折も経験した。それでも楽しかった。何に縛られることもなく、自身の思いがままに動いていた世界が。いや、そんなものではない。私はただ、悪なき世界がほんとうに愛おしかった。綺麗で清純で、心地良く輝いていて、ひまわりのような世界をずっと見ていた。そういう世界が、私にとっては楽園であった。

 明日からその楽園は失われる。かつてサタンが主に叛逆を試みて堕ちていったときのように、私は善い世界から悪い世界へと真っ逆さまに落下していく。下劣で悪意に囚われた人形ども。実力を顧みない栄華に酔い、あまつさえその酒を強要する者。まるでゴキブリのように湧いて群がる人間ども。その腐った大根畑の中に私は住まわざるを得ない。善意と合理に満ち溢れた空は消えて、ただ異臭を放つ雲が私に襲いかかっている。

 ああ、クソ。クソが。いったいこんなこと誰が。サタンは主に逆らったので落とされた。じゃあ私は何だ。私が何をした。私が何をしたというのだ。私はなぜ地獄に引きずり込まれるのか。私はなぜ地獄に囚われなければならないのか。私が何をした。私はただ、睡眠の中に平穏を見出していたいだけなのに。戦争を引き起こす愚者どもよりも圧倒的に無害で善良であるのに、私はなぜ、彼らよりも先に地獄へと送り込まれるのか。

 おかしいではないか。私はおかしいと思う。私は善良で無害そのものである。例えるならばそこらへんの草である。しかも繁殖すらしない。それをなぜ刈り殺す。誰が何の権利で私を殺すのか。誰が誰の許しで、私の善意を嘲笑うのか。

 言うまでもない。誰も、私を殺す権利など持ち合わせていない。誰も、私の善意を咎める権利など有していない。ほんの一人も、私を刈り殺すことなどできない。私は善良で、無害で在り続ける。それは自明の理である。覆すことの出来ない自然の摂理である。例え社会が人々を悪意と嘘で染めようとも、残念ながら私だけは染まらない。私だけは善く、正しく生きていくだろう。

 これがわたし。これがわたしの存在理由。私は善良で無害である。そして、それを阻害するものは容赦なく排除する。その結果、私が社会から排除されることになろうとも、私はわたしで在り続けるであろう。誰もわたしを蝕むことなど出来ない。

 そしてそれを表現する手法は何か。言うまでもない。私はその道に、きっと生きていく。その才はあるか。無い。この爆風のごとき原稿を一読すれば、凡庸という爆発音を感じ取れよう。

 しかし呪詛は居る。清く善く正しく在らんとする執念。悪に染めんと試みる社会への憤怒。私を嗤ったものへの怨恨。それらはすべて呪詛として私の中に蓄積される。その呪詛が、文字となって、物語となってウツシヨに拡散されるのだ。私は神官でしかない。清く善く正しい。それを体現するための。

 

 これは宣戦布告である。社会に対する私からの宣戦布告。

 私は明日を以て死ぬ。しかし心は生き続ける。心は誰にも侵されない。

 あとは私のものである。心を活かせ。心臓をくり抜け。心臓を裂け。血潮を振る舞え。文字に振り撒け。

 受難なき救いなど有り得ない。

 受難の果てに、約束の地は必ず。