まどどブログ

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2022.04.01(一ヶ年計画364日) 労働について④ / 斬首

2022.04.01

楽園の別れに

 

 おお、私はなんと惨めなことか。退勤してから何をしていた。何もせず、ただ動画をぼんやりと眺めて、食を摂り、皿を洗い、風呂を洗い、そして何をしていた。何もしていない。小説の一文字も書きやしない。

 痴れ者が。私はもう死んでいるのだ。鳥辺野になかれている身なのだ。今日とて、いったいどれほど思ったことか。

「ああ、この時間、もし寝られていたら。寝られずとも、もし、小説でも書けていたなら。」

 そう妄想しつつ、帰宅した途端に快楽に走る。愚かしい。それでは生きていた私と何ら変わりない。私は死んだ。私はもう、肉体的に死を迎えているのだ。今日は単に地獄の門下に賭したに過ぎないので、多少なりとも生を偽装しているのやもしれぬ。しかし今後、死神はもはや姿を隠すこと無く我々の眼前に現れる。そのときになって悔いても遅い。いや、そもそも懺悔の暇すら与えられない。愚者は愚者のまま、生を終えるのだ。

 

  • 斬首式を経て

 斬首式。かつて尊いものであった水の日々は、ギロチンによって砂漠と化した。そしてその最中に在り続ければ、これが砂漠であることすら忘れてしまうだろう。

 

 舐めるなよ。

 

 斬首の恐怖を忘れるな。生との訣別を忘れるな。きっと、マリー・アントワネットも本日の私と同様のものを思い浮かべていたことであろう。自由で享楽に包まれた思い出たち。幸いの中に浮かび上がる泡沫。そして、今。二度とこの先、蘇ることのないという事実。ブラック・アウト。

 そう、かつて私は、自由を謳歌していた。睡眠も怠惰も髭も髪も服も、何もかも私の手中に有った。そして今や、もうそれらは無い。現代の奴隷として、仮初の「自由」を見せられているに過ぎない。休日とて、「社会人として相応しい」という鎖によって首輪を繋がれている。髭ももう伸ばせない。髪ももうピンクに旗めかない。奴隷の条件を、我々は我々自身の意思で飲み込んでいる。

 こんな愚かしいことがあってたまるか。私は私だ。どんなに大きくなろうと、どんなに周囲が大人びようと、私は三歳のころから何ら変化していない。私はあくまで私である。どこまでも自由奔放で人懐っこくて純粋で善良で無害で愚昧で怠慢で鈍重で好奇心旺盛なのだ。それを阻害されてたまるものか。

 ふざけるな。生きるために奴隷に成り下がるというのならば、私は生きなくとも構わない。私は清く善く正しく生きるのだ。奴隷として主の意向に従順である気などさらさらない。生きることを諦めるだけの価値が、雪の景色には込められている。

 騙されるな。この安らぎは仮初のものである。いや、仮初ですら無いと思う。虚構ですら無い。そもそも安らぎなど存在しない。心臓に規則という爆弾は埋め込まれている。安らぎなど無いのだ。安らぐことは赦されない。私の魂を裏切るな。魂の叫びこそ、労働への義憤こそ、生きるべき、あるいは死すべき道である。

 騙されるな。私は社会に宣戦を布告した。社会は偽計を駆使することであろう。私はそれを見抜き、抗わなければならない。これは抗わなければならないものだ。