2022.04.04
早急なる撤退を
- ダム耐用期間に関する誤算
予定外の事態に対して、その処理に極めて苦慮しているところだ。
私の目論見としては、二年程度は耐久可能であり、十分な資金の蓄積を確認した際に威風堂々、この労働という地獄から退場させていただく。そういった想定の下に、あらゆる計画を構築していたのである。
しかし、既に二日で耐用期間は終焉を迎えつつ在る。心が音を立てて崩壊している。私の心は干魃下のダムであった。今まで強く、固く、まるで優しく頬張るかのように溜め込んできた感受性を、労働という飢えたる人類の権化に垂れ流していく。言うまでもなく、干魃によって水の手に入らないまま放水を続けていれば、やがてそのダムは尽きる。そして人類は躊躇なく、その豊かな土肌を放棄する。
さて、このダムは目下の予測において、一週間程度で放棄される可能性をはらんでいる。そもそも躯体について致命的な欠陥を抱いていたようだ。
もはや猶予など無い。漠然と「作家になりたい」など夢想している場合ではない。異なる貯水手段を講じるなり、まったく異なる手法を編み出すなり、何かしらの代替手段を急遽検討しなければならないのだ。もう呑気に「一カ年計画」と言っている余裕など無い。
- 茶番
願わくは、労働からの解放。しかし、現状資金のない私にとって、それは願っても叶うようなものではない。ではどのようにすれば。労働を、茶番から遠ざける他にあるまい。
茶番を強く憎む生物というのは、一体何か。私だ。
茶番とは概して、「海を見て深き闇に思い馳せぬこと」である。海面を見つめて、その表層に浮かぶものたちについてとやかく高説を垂らす。そして、その下に広大に広がっているであろう闇については、一瞥すらしない。これが茶番である。私はこの茶番について、毛ほどの、いいえ、埃ほどの価値をも感じていない。深海の闇をも喰らい尽くすことで生きる意義は眠る。そう思っているのだから。
そして労働——少なくともサラリーマン——とは茶番の集大成である。現業とて同様。第三次産業はすべて茶番である。金で彩られたビジネススキル、そしてビジネスマインド。その天守閣は、一体何のために建てられたのか。彼らの石垣は、一体何であろうか。一度省みるが良い。なぜ我々は、働くのか?
- 霊
では、茶番から離れるにはどのようにすればよいか。根源的であるべきである。伊弉諾尊のおはしますよ。あるいはオシリスの統べる国。サタンの沈みし業火やもしれぬ。古代から変わらぬ、そして上辺によって完了することのない世界線。上辺など、そもそも存在し得ぬ暗闇。その中に私は堕ちてしまいたい。のかもしれない。
であれば、なんだろう。
言うまでもなく創作。創作は自身の世界をゼロから創造する。この点で、闇を見ることは間違いない。
宗教。これも創作に似ている。現世の創り手との対話を試みるのだから。闇すらも拝見する可能性が考えられる。
第一次産業。近代化が進んだとは耳にしているものの、現代においてもその不条理さは変わりない。そもそも現代似つかわしく神の息絶えて久しい令和においても、天候や疫病によって産業の崩壊を招く。霊の息吹を感じる。
書いていて思ったが、もしかしたら私は茶番を憎むのではなく、ただ、霊にだけ、なのかも。いずれにせよ、可能な手段をすべて拾い集めて、貯水の流出を防ぎ止めなければならない。ダムの枯れた日は、きっと自殺記念日となることであろう。
そうなったら、ぜひ嗤ってくれ。不老不死をこれほど願いながら、自ら鎌に首を掛けるとは。
- 過労の景勝
そうそう、今日から睡眠は午前二時とした。睡眠時間を削減すれば、朝昼の作業効率は圧倒的に低下する。脳は強制的に休息を強いるだろう。呪われた労働に安らぐやもしれぬ。そして、夜、死者の世界で、私は凛然と月を浴びる。カフェインでも摂取すれば、星の色すら増す。
ある友人が言っていた。「人間はそう簡単に過労死しない」。その言葉、信じてみよう。どうせ死んだ命だ。何をしようとも、もはや惜しいと思わない。このまま心を殺すよりかは、肉体をも朽たせてしまいたい。不老不死に乾きつつ。