2022.04.06
鎖龕
おうおうどうしたどうした。今日は比して時間の余裕を持ち合わせていたはずであろう。どうして、二十一時を時計は告げているのか。
いいや、無理もない。もはや労働の鎖は私の前頭葉すらも固く縛りつつある。それに、肉体に蓄積された重りも、もはや常軌を逸して私に重くのしかかる。つまり仕方ないのかもしれない。疲れているのだ。どうしようもなく。
それでも私は疲れを塗り替える。カフェインを多量に摂取して、眠気を吹き飛ばす。団子を口に運んで前頭葉を硬く閉じ込める。こうして私は、結局創作に進むのだ。
なぜかって? なぜだろうな。特段、理由など無いのかもしれない。はっきり言って、私はずっと寝ていたい。労働の最中、どれほど恋うたか。ああ、今眠っていられれば、いったいどれほど良かったか。今、布団の温かさに包まれて、安寧の動画を見つめていられれば、いったいどれほど幸せだったか。創作を思い起こすわけでもない。ただ、眠っていたいのだ。
それでも創作に進んでしまう。それはなぜだろう。きっと、こう言えるのだろう。
愉しいから。最初は、単に「死にたくない」「消えたくない」という一心で取り組んだものだった。単に、自身の失恋を慰めるべく書き連ねたものであった。それが今やどうであろうか。痛快なのだ。創造主がかくも苦悩に満ち溢れているとは、思わなかった。
無論、マゾヒスティックな者として私は生を受けていない。ほんとうなら、ずっと寝ていたいのだ。それでも、今では苦悩すら愛おしい。労働はあまりに明解で、画一的で、痛かったから。