2022.04.19
習慣とは不思議なもので、例え疲れ果てていようとも、例え深夜二時を回っていようとも、取り組まなければ気が落ち着かない。本来の性質を失っていようとも、本来の目的はとうに移ろっていようとも、習慣だけは残り続け、川の葉のように浮かんで流れていく。泡沫ではないのだ。
このブログとて同じ。本来は、堕落しきった生活の中で何かしら文章作成と頭の体操を兼ねて始めたものである。則ち、この二つが目的だったのだ。
しかし今や堕落した日々は果てた。漫然とした幸福は霧散して、ただ屍として生き永らえているまで。頭の体操も何もあったものではない。強制的に脳は起動させられるのだから。だから屍なのだ。命絶えようとも、脳の腐敗を止められる。そして、脳は永遠に共同体のために使役させられる。
それでも、このブログは続いていく。一日だけ断絶の危機にあったこともあったが、なんだか、これを済ませなければ気が済まない。そういうふうになってきてしまった。
伝統も、もしかしたらこのような感覚なのかもしれない。私はそう思うのであった。