まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.04.24 労働について⑩ / 魂の穢れていく季節について

2022.04.24

 

 最近は労働に対する苦節の論説が減った、そう思うかもしれない。しかしそれは正しい情報ではない。例えば日本人の平均労働時間が世界的に短く見えるように、単に労働に対して何か意見する気迫すら削がれてしまったに過ぎない。

 最近の一週間のルーティーンはこうだ。

 月曜日から金曜日。日中、心を殺す。帰宅して、涙に暮れる。木々に色が失われる。まさに、カラーフィルムを忘れてしまったかのように、私の世界は色褪せる。それほどに、私の心は折れ曲げられているのだ。

 土曜日。私の心は反り返る。色が帰ってくるのを感じる。ただし、その代償に睡眠が伴う。何も出来ない。文字通り、一日中寝てしまう。ただひたすら。心が私を避けてしまうのだ。無理もない。殺されたのだから。

 日曜日。やっと心は私に寄り添ってくれる。音も、色も、何もかも、私の手中に戻ってくる。いや、違う。彼らが私を求めてくれるのだ。木材と成り果てた人間どもに代わって、私を。善たる世界に、私を導いてくれる。彼らは、私を救ってくれる。どうしようもない、枝も葉も花も切り落とされて金に替えられてしまう、この世界から。

 それでも、また明日になれば、すべて消え去ってしまう。

 

 ああ、ダメだ。ずいぶん、文章も下手になってしまった。

 終わりだ。終わり。私の魂は、矢張り、はるか彼方に置かれてしまった。学生時代の頃とて、決して文才に溢れていたとは言わない。むしろ、才に遠ざけられたのが私だ。

 それでも、心は葉脈の中に巡っていた。確かに、私の魂は花の養分であった。今は違う。今は枝葉の奪われた魂が在るのみ。ビジネスだとか、社会人としての自覚だとか、バリューだとか、そんな忌むべき言葉を口にするようになってしまった。穢れた言葉を口にしていれば、当然、魂も穢れていく。そうすれば、徐々に木々は単なる物質によって代替されてしまう。そこに魂は居ない。

 あゝ、さようなら。私の清廉。次会うのは、きっと労働果てたときだろう。

 あるいは。