2022.04.25
どうにも、私の寿命というのは他者より遥かに短いらしい。
多くの人間というのは、多かれ少なかれ常に何かに精力的に取り組んでいるというようなイメージがある。少なくとも、何も出来ずに怠惰に過ごすことを何日も許容できないはずだ。暇で気が狂ってしまうらしい。
私は残念ながら、何日寝ていようとも特に苦痛に思うことはない。ただ、布団の上に横たわって音楽に耳を傾けているだけで——もちろん排泄など必要な行動は取りつつも——百年は時間を潰せる。誰と話さずとも。その自信がある。つまり、虚無のひとときを愛しているのだ。
だから私の寿命は他者より大きく少ない。非生産的時間を愛してしまう。息をしながら死んでいる。そういう時間があまりに豊富だ。他者のように、常に生きようと思わない。漫然と死んでいても構わない。意識さえあれば。死は忌むべきであるが、虚無は愛さなければならない。
私は何も退屈が恐ろしいのではない。消失に恐怖するのだ。死を憎むのも、この所以である。
ああ、つらい。
頭が動かない。テーマは数多く有るのに、それに新鮮な驚きを感じない。
ああ、苦しい。
心を殺して過ごす日々で、いったい何を産もうというのか。
私は産みたいはずなのに。
いや、これすらもセルフ・イントロダクシヨンなのか?
悲嘆に暮れて、自分を貶めているのか?
ああ、わからない。
何もわからない。
こういう日には、ただ本を読むのみ。