まどどブログ

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2022.05.02 メンタルヘルスについて② / 第二次躁鬱対処法について

2022.05.02

 

『ここに来てもまだ 少し先を見てる。』

 

 最近、応援しているアーティスト「さらさ」の楽曲、『祈り』の一節である。

 素晴らしいアーティストである。音楽理論などわからないが、どうにも、滝壺を思わせる。

 

 さて、昨日の続きである。躁鬱的状況への対処法。性的行為はほどほどに。睡眠を摂ろう。その次。

 

  • 三、気分の波音に耳を傾けよ

 躁鬱というものは面白いもので、必ず浮き沈みする。気分が過剰に高ぶって、地に足つかず何も出来ない。あるいは気分が異様に落ち込んで、海底に縛り付けられ何も出来ない。何も出来ないという意味では同値と見ようが、その背景にあるものは若干異なる。宇宙に放り出されたか、海底に(あるいは内核に)閉じ込められるか。いずれにせよ、ろくなものではない。

 これについて、私は一つの緩和策を見出した。深呼吸である。気分の揺らぎを正常化する。その際に、深呼吸をするのだ。

 ああ、説明が面倒になってきた。あとは概略だけ述べたい。

 気分の浮き沈みには、必ずそのときによって特徴が見られる。人によって同じかどうかは知らないが、例えば私の場合、昇天の際にはありとあらゆる思考が泡のように次々と浮かんできてまとまらない。沈没の際には逆に思考が固定化されて同じようなことから抜け出せない。このような特徴が、必ず現れる。

 それを注意深く観測する。あくまで客観的に、第三者の視点を絶やさず、その特徴が現れないか観察する。無論、直ぐには気づくことが出来ないであろう。しかし、ふとした瞬間、「あれ、いまこんな状態じゃないか」と気づくことがある。

 そのとき、深呼吸をするのだ。四秒息を吸う。四秒息を止める。そして四秒息を吐く。これを数回。するとどうだろう。なんと、多少なりとも改善しているのだ。これが万人に適用されるかどうかは知らないが、私にとっては画期的な発明であった。

 とにかく、まずは自分の特徴を抑えること。気分がどのような波音を立てているのか、しっかりと見極めること。その波音に耳を傾けて、キャッチすること。キャッチしたら深呼吸。これが、私にとっては大事なことだ。

 

  • 四、SNSは薬無き毒

 薬と毒は表裏一体。よく言われるフレーズだ。同じ物質であっても、用途、ないし用法によって、薬にも毒にもなる、という意味。

 では、SNSはどうか。言うまでもなく、毒である。魂の穢れを蓄積し、気分に影を差す。他者の栄華や、底辺の呻きや、あるいは戦争の惨禍。それらが現実として自身の魂に流れ込んでいる。これで気分の明るくなるほうが珍しい。

 そして、薬は無い。この毒に薬としての効用は見込めない。薬として作用するのは、よほど自己顕示欲が強い場合に限る。それ以外では毒でしか無い。気分に悪影響を及ぼす。

 故にSNSから離れなさい。SNSなど見ないほうが良い。見ても、動物の動画に留めること。それ以上は何ら良い効果を与えない。

 

  • 五、帰れ、アナログへ

 そも、デジタルは人間本位に作られていない。人間がデジタルを用いるようになったのは、せいぜい四十年前から。デジタルは、まだまだ私たちの生活に馴染むまでには至っていない。

 故に、ずっとデジタルに触れていると段々と疲れてしまう。眼精疲労など肉体面の疲労もそうだし、何より、情報のマリアナ海溝に引きずり込まれるような状態になる。我々は水生動物ではない。息苦しさにむせぶことであろう。

 デジタルデトックス、などとは言わない。デジタルは便利だし、我々は飼う生物である。デジタルも愛情持って接すれば、生活を豊かにする。

 ただ、デジタルに疲れたな、と思うのであれば、少しばかり離れたほうが良い。数時間でも良い。幸い、人間社会にはアナログがまだまだ大量に眠っている。紙の本。お茶。お菓子。自然。木々。川。ラヂオ(正当なるアナログかと言えば、議論の的にもなろうが)。など。それらに帰ることも大切なように、私は思う。

 

 以上。他にもあれば追記するかもしれない。