2022.05.14
そもそも、自己顕示欲を憎む必要など無い。自己顕示欲と創作は表裏一体なのだから。
自己顕示欲を恥じてきた。これまでずっと。私は基本的に極めて自己顕示欲が強い。自分が世界の中心でなければ気が済まない。そういう人間であった。そして触れる世界の膨張とともに、現実がそうではないことを知った。それでも自己顕示欲は矯正されない。理由は簡単だ。大人に私はなれないのだから。それを恥じてきた。そして、自己顕示に盛んな人間を嘲笑さえした。
しかし。そもそも、人はなぜ小説を書くのか。なぜ筆を執り、それを公衆に晒しているのか。読んでほしいからではないのか?
ただ書きたいから、では説明できない。ただ書きたいのであれば、ただ書けば良い。公開する必要など無い。自分の中での趣味として、秘めておけば良い。独占しておけば良い。
しかし人々はそれを公開する。出版を望む。それは、根源的に読まれたい、見てほしい、そういう欲求が横たわっているからではないだろうか。それは自己顕示欲に他ならないのではないだろうか。
言うまでもなく、その自己とはあくまで「自分」ではなく「作品」である。作品を読んでほしい、作品を見てほしい。万人はきっとそう思っている。が、作品は自身の子であり、自身の結晶である。その意味で、あくまで自分自身の注目を望まずとも、自己顕示欲と言うべきものであろう。
つまり、だ。自己顕示を恥じる必要など無い。どこにもないのだ。大いに結構。盛大に自己顕示しようではないか。
自分自身への注目を求めるのは論外だが。
え、でも作品を公開するのはそれがお金になるからじゃないの?
それなら敢えて表現しないでしょ。脳内で済ませたほうが楽だし。
労働を殺す。