2022.05.21
私は幸いだ。こうして、このブログを毎日記すことが出来るのだから。
夢もなく希望もなく、ただ日々を消費していく。このブログがなければ、私の人生はきっとそうなっていた。私の救いはどこにもなかった。家族にも友人にも、誰にも、どこにも。
だから幸いだ。私には救いがあるのだから。
- 旅行
私は旅行が好きである。色々なところを巡って、色々なものを見て。色々なものを聴いて、色々なものに触れて。色々な、新しいものを私の中に取り込んでいく。あるいは等しく対話する。あるいは、ただ傍観者として、温かく見守る。そうして、新しいものと、自分との中に接点を持っていく。そういう旅行が、何よりも好きだ。
以前、私は旅行を「現実逃避」と定義づけたが、それは全く正しいと言えない。旅行とは現実逃避ではない。あらたな現実を得る行為なのだ。決して逃れているのではない。自分の現実を拡張しているに過ぎない。
- 心の旅を!
ところで、旅行には外的なものと内的なもの、その二つが存在する。前者は、一般的に広く知られている「旅行」である。肉体の旅、と言い換えても良いであろう。文字通り、自身の肉体を運ばせて、肉体的な感覚を以て様々な事物と接続していくものである。
では後者は? 後者は、心の旅である。小説や物語。漫画。絵画。音楽。何でも良い。そういう作品を訪ね、触れる。あるいは心そのものを旅しても良い。目を閉じて、自分の内側の世界を闊歩する。そうして、心を通して旅をする。家から出る必要もない。自宅で良い。自宅にいながら、旅をするのだ。
どちらも旅行だ。私の愛する旅行。現実を推し進めるのだ。
この数年間、私は後者にも目を向けている。
それだけ。