2022.06.05
最近、メディアにおいて、あることが騒がれている。
コロナ前への回帰。コロナからの脱却。コロナの終焉。
インバウンドの回復。消費の復活。自由で開かれた社会。
ああ、なんて素晴らしいんだ。そう、言わんばかりに。
冗談も大概に。何も素晴らしいことなどない。我々は帰るのだ。人間との交流を強いられる世界に。のびやかであるべき旅先が、人で溢れかえる世界に。見栄を何よりも崇拝する世界に。
個が溶け出してしまう、あの世界に。
少なくとも私には理解できない。あの世界に戻りたい、その感情を。
確かにコロナは生活に多少の制限を加えた。日常生活は変化してしまった。人を多く失ってしまった。そして何より、オリンピックを国恥へと塗り潰してしまった。
それでも、コロナは奪うばかりではなかった。私に、啓示を与えてくれた。個が個として生きることの素晴らしさを。独立自存の尊さを。恋と愛の儚さを。木々と花々の美しさを。動物たちの声を。音楽の彩りを。独りぽっちの旅の——観光地ですら私以外に文字通り誰も居ない、そんな旅行の——静けさを。。
愛を。
そしてそれは、何も私だけでは無いはずだ。個々によって差異はあれど、コロナがもたらした啓示を、確かに受け取ったのは。
いや。みながみな、気づいているのではないか?
コロナは我々に救いもしたのだ。と。
その事実に、目を向けなければならない。
我々はコロナによって何もかも失った。コロナは正常たる社会を壊しつつあった。だから折伏されて当然である。コロナの終焉は、社会の勝利。
このような言説に、耳を傾けてはならない。信じてはならない。コロナは疫病である。確かに人類の仇である。しかしコロナは僅かながらも償った。社会を新天地へと運びもした。
その社会を戻そうとする。復古を希望する。貶めようとする。個の不在を望む。いや個などあってはならない。そう願ってならない者ども。従ってはならない。その者どもの祈りを届けてはならない。
これは我々人類の岐路である。かつてスペイン風邪が世界を塗り替えたように、コロナは世界に変革を与えた。それを生かすか、殺すか。変革を育むか、拒むか。新を知るか、破るか。それは、我々次第である。
願わくは、新天地と共に。