2022.06.09
なぜ、この時間なのだ?
今日こそは執筆を。そう心に誓って、私は早々に帰宅したはずである。そして、ある程度の時間を費やして夕食を採り、少しばかりの休憩を挟んで、食器を洗って、さあ執筆だ。そう思ったら、既に時刻は午後十一時。
今日は、ほんとうに無為な時間などなかった。そりゃ国歌を何曲か聴いたり懐かしのMADを眺めたりもした。だがこれは教養を、ユーモアを、そして諧謔精神を取り戻すという意味で欠かせないものであった。それでいて、午後十一時を迎えるか。おかしいではないか。
矢張り労働だ。労働がすべてを侵している。労働こそ、我々が殺さなければならない。
それにしても、今日の空は妖しげなまでに綺麗であった。暗い雲の裏に夕焼けが広がる。僅かな晴れ間は紫に。光は橙に。黒と紫と青と橙。不気味なまでに色鮮やかであった。
ほんとうは、これについて饒舌に語るべきなのであろう。私とて語りたいのだ。しかしもう眠い。頭は痛いし気分も悪い。執筆は不可能かもしれない。
ああ。書くべきことはもう私のそばに在り続けてくれているというのに。睡魔が私を支配する。そして睡魔の使用者は労働である。おお労働よ、お前はいったいどれほど私を苦しめれば気が済むのか。
だが喜ばしいことに、私は空の美しさに魅せられた。久々のことだったのだ、平日に外へと目を向けられたのは。
- 腹切り刀としての遺書
やっとこさ本題である。私は遺書を書こうと思う。
死ぬつもりはない。私は永遠に死ぬつもりなどない。太陽、銀河系、そして宇宙の破滅の目撃者を希望する。余すところ無く永劫に生きていたい。死ほど愚かしいことはないから。詳細は以前に触れたとおりである。
だが、現実として見れば、私はいずれ死ぬ。この事実は精神論で切り替えられるものでもない。人間はいつか死ぬのだ。もしかしたら明日かもしれないし、五秒後かも。とにかく、人は死んでしまう。
そして私はこれから破滅を選ぶ。労働から逃れる。安定から逃避する。恐らく待ち受けているのは破滅である。破滅とは、即ち死である。つまり、私にとって死は非常に具体的な問題である可能性が高い。
故に遺書を記すのだ。不退転の覚悟を示す。それもまあ、あるだろう。だが、逃避を受容する。不老不死を願いながらも、それとは異なる観点で死について向き合う。これから私が為すであろう逃避の意味を、理解する。
そのために私は遺書を書く。懐刀としての退職届については、以前述べた。これに対応させて考えれば、遺書は腹切刀である。命を断つ、神聖な短刀。私はそれを研ぎ澄ませておかなければならない。
私に限ったことと思わない。遺書とは概して、恐らくこのようなものではないのか?