2022.06.16
ああ、駄目だ。ボツを三回も繰り返していたら、もう午前一時を回ってしまう。
‘Yet To Come’と私について論ずるのに、平日の夜は短すぎる。私の人生と今後を、この曲はすべて言い当ててしまった。もっと睡眠時間を確保しなければ。
- 覚悟:信仰
一言だけ。
覚悟を決めた人間ほど、愚かしく素直な者はない。
覚悟を抱いた人間は、もはや他者の言葉など響かない。どれほどその覚悟が非合理的で滑稽で、破滅を誘うものであったとしても、当の本人にとっては覚悟こそあらゆる行動原理であり、誰にも侵されることのない神域である。覚悟を有した人間は、その実現を素直に信じ、その実現のためだけに動き回る。
その意味で、覚悟とは自己に対する深い信仰である。覚悟を維持し続ける者というのは、何もそれそのものが合理的であるとか、実現可能性に満ちているとか、そういう現実との接点から覚悟を持ち続けているのではない。自己を崇拝しているから、覚悟もまた、心の中で奥深く根を張っているのだ。
さて、私はいかがであろうか?
‘Yet To Come’によって、まだ見ぬ未来を変えてしまった私は、いったい、どれほど覚悟と対峙し続けられるのであろうか。
幸いなことだ。興味深いサンプルを、当の本人として観察できるのだから。
- 怖いこと:平日の夜の
ところで率直な不安として、平日の夜に創作する余裕がない。時間的なものはあっても、睡眠不足によって脳に重いカーテンが降ろされたような感覚に陥り、何も産まれてこないのだ。
しかし世の中には、涼しい顔で退勤後に精力的な活動を見せているものも在る。
これは私が不適なのであろうか? それとも、私の特性として極端な労働と短時間睡眠が心身の不調を招きやすいのであろうか?
後者であれば退職することによって望みは増すものの、前者である場合、もはや救いがない。