2022.06.22
私の中には条理が巣食っている。
巣食っている、と表現してもよかろう。人々が皆労働に縛られているように、私もまた条理に縛られている。条理によって私は生きる。不条理になど決して屈しない。私はそのように決定したのだ。
そして、この条理の中でも、ひときわ大きなものがある。それは何か。
それは、個が個として尊重されるべきである、ということ。個は個として独立して存在しており、何人たりとも個を侵害することなどできないし、許されない。他者への干渉はこの世で最も重い罪であり、重く罰せられる。徹底した個人主義、と呼称すれば、多かれ少なかれ引け目を感じさせるものとなろう。そうだな。自己恋慕、とでも呼ぼうか。我々はそれぞれの自我を慕うことによって、他の個からの、さらには他の個に対する干渉を退けられるのであるから。
この自己恋慕を達成するにあたり、最も禁じられるべき行為は何か。それは他者の否定である。他者の言葉。他者の性格。他者の思想。これらを否定すること。例えば「結婚に興味がない」とする者に対して「強がるな」と冗談めくこと。例えば「もっと寝たい」と悲しむ者に「他の者は寝ていない」と放言する者。例えば「彼が好きだ」と相談する者に対して、「手に入るはずもない」と突き放す者。
そして、その逆も然り。つまり、肯定である。全肯定も、禁じられるべき行為である。
何故これらは禁じられているのか。説明するまでもないのかもしれない。簡潔に言えば、これらは他者の侵犯行為であるから。他者に対しては、肯定も否定もしてはならない。足を踏み入れてはならない。あくまで中立でなければらない。
中立であれ。他者への興味を損なえ。自我を愛して、他を切り離せ。
これが私の理想郷。