まどどブログ

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2022.07.08 彼の死について

2022.07.08

 

 きっと、これはまた、彼に供する戯れの一つなのであろう。

 

 彼はこれまで、多くの場面において、クレイジーな熱気を与えた。SNSでは公然と、陰茎開示などという彼に対する狂人のハラスメントが繰り広げられた。ある者は、彼に捧げる狂信の楽曲まで作成した。彼を模した狂気の漫画すら、人気を博した。彼は、政治家としてはさておき、少なくとも人間として、多く国民に愛され、憎まれ、そして受け止められた。どのような形であれ、多くの国民の心の奥底には、彼が居た。

 

 平たく言おうか。彼はずっとイジられてきたし、ずっと叩かれてきた。あの手この手を使って、彼は国民のオモチャとされた。それが好意的か、あるいは敵対的か、いずれかは人によって様々であったけれど、彼は常に、多くの国民を捉えていた。望む望まざるとに関わらず。

 

 それに、今は令和である。令和日本において「凶弾に倒れる」「撃たれ死亡」などという表現が公然と用いられることなど、ない。戦前ではないのだ。浅沼稲次郎ですら凶刃である。令和日本に、凶弾などというワードは登場する余地がない。現代なのだ。今は。

 

 だからこれもまた、戯れなのだ。安倍晋三元総理が凶弾に倒れる。こんなニュース、巫山戯たコラ映像の一つでしか無い。安倍晋三を叩いたり、安倍晋三で遊んだりする、悪趣味な創作物の一つでしか無い。

 

 現実であってはならない。

 

 現実なんて、思えない。

 

 

 しかしこれは、紛れもなく現実である。

 安倍晋三は銃弾に心臓を貫かれ、失血多量により死亡した。

 

 

●昭和五年の我々は

 

 我々はいま、昭和五年の中に居る。

 

 昭和五年とは何か。濱口雄幸が東京駅にて凶弾に倒れた年である。今回の件で、多くの者は犬養毅高橋是清を思い浮かべるようであるが、彼らは軍部のクーデターによって殺害されたので、この度のものとは性質として異なる。安倍晋三と同じ条件で比較するのであれば、濱口雄幸を例に出すことが適切であろう。厳密に言えば、濱口雄幸は即死したわけではないので、完全に同一とは言い難いものの、そもそも総理大臣経験者が凶弾に倒れることそのものが非常に重大な事象であるので、今回は濱口雄幸を例に挙げたい。

 

 

 

 申し訳ないが、今日はこれ以上書けそうにもない。あまりの凄惨さに、もはや言葉も浮かばない。昨日まで、いや今日の午前中まで、普通に生きていた、たった一人の元総理が、あれほど熱狂的なファンを集めた人物が、こんなあっけなく、それも銃撃という手法によって、殺されてしまうなんて。

 

 いつから日本は、こんな国になってしまったのか?