まどどブログ

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2022.07.09 凶弾と令和における侍の出現可能性について

2022.07.09

 

 本当は投票前日に書きたいテーマがあったのだが、残念ながら日をまたいでしまった。

 公職選挙法に違反するのは避けたいので、このテーマは選挙の結果が顕となった後に記すこととする。

 

  • 我々は侍となるのか?

 昨日、矢張り安倍晋三は銃に撃たれて死亡した。

 すべてがこの事実を物語っている。メディアは一様に安倍晋三の死を報じ、民は安倍晋三の死を多かれ少なかれ話題にし、安倍晋三の暗殺に世界が悲痛な面持ちを浮かべた。

 これはもう、動かすことの出来ない、まさしく歴史として固定化される事実となった。我々は昨日より、表立つ人間を問答無用で殺害する国の、民となった。

 

 遺された安倍洋子女史。安倍昭恵女史。岸信夫。その他、遺族の方々。岸田文雄。彼を慕った者。彼に慕われた者。彼らの悲愴と無念と憤怒とは、いったい如何ほどのものか。それを思うだけで、私の心は極めて強く、激しく、悲痛に覆われる。

 彼らは死を前に、総理大臣でもなければ防衛大臣でもないし、元ファースト・レディでもないし、大奥ですら無い。彼らは、たった一人の、どこまでも弱い人間でしか無い。多くの場面で我々と異なっていようとも、彼らは死に無力で、腹を痛めた子の、愛した夫の、親しかった友の、敬愛した同志の死に涙を降らせ、悔しさを滲ませ、また怒りを押し出す。そんなただの人間でしか無い。この惨劇において、彼らはどこまでも、我々と同じなのだ。

 そして、何もかも奪い去られた、安倍晋三も。

 

 無論、我々の平安に戻すことが出来るのであれば、それが最も望ましい。

 しかし、それが叶わぬのならば。かつて保元の御時、藤氏長者藤原頼長が死を余儀なくされた、あの混沌に戻るのであれば。

 我々は、また侍に戻らなければならないであろう。