まどどブログ

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2022.07.22 現代日本の音楽と和歌について

2022.07.22

 

 私は世界幅広く、多くの楽曲を耳にしている。具体的に、これまで耳にした楽曲は優に一千を超えることと思われる。音楽家ではないので理論的な解釈は困難だが、直感的に傾向などを掴むことは出来る。

 その中で、日本のアーティスト、そして楽曲にはある独特な特徴が見られると感じられるようになった。ここで、それを簡潔に述べておきたい。

 

  • 日本の楽曲:個の吐露

 日本の楽曲の特徴。それは、個の吐露である。

 他国の楽曲の特徴として、社会的・公共的価値が散見される点にあると考える。例えばアメリカでは、アーティストが積極的に政治に関して発言を重ねており、中にはその信条を楽曲に色濃く投影したアーティストも居る。Lizzoが有名であろうか。また韓国には、BTSが居る。「若者たちを守る」という彼らの信条はあらゆる楽曲の基盤を形成している。ドイツでは——やや時代背景が異なるが——ニナ・ハーゲンだろうか。このように、他国ではアーティストが何らかの政治的・社会的信条を胸に、楽曲を作成している例が見られる。

 一方で日本のアーティストは基本的に、社会的・公共的価値を持たない。誰も政治について発言することはないし、誰かを救いたい、誰かの盾となりたい、そのような信条の下で楽曲の作成に邁進しているアーティストも少ないように思われる。少なくとも、人気を博した楽曲の中で、何らかの信条が明示されているものは殆ど無いのではないだろうか。

 では、社会性も公共性も無くして人気を得る要因は何か。それは個の吐露が、如何に優れていて、また共感を得られるか。このことに依る。楽曲として優れており、人を魅せるようなものでありながら、一方で遠い存在ではなく共感を得られるもの。これが日本の楽曲の特徴であるように思われる。

 宇多田ヒカルの『花束を君に』を例に採ろう。この楽曲の意味するところは何か。それは「母を亡くした宇多田ヒカル個人の悲嘆」である。それ以上でも、それ以下でもない。ここに政府への怒りや誰かの応援は無い。ただ、個人の悲嘆を、四分程度歌っている。たったそれだけなのだ。それでも彼女の楽曲は強く人気を得た。それは、歌詞と旋律とがあまりに優れていて、そして、同じように親愛なる者を亡くした人々の共感が寄せられたから。

 あれが硬派だと言うならば、加藤ミリヤの『さよならベイビー』ではどうだろうか。あれも、単に「恋人との別れの悲しさ」を率直に歌っているに過ぎない。それでも、人気を博した。同じように悲恋に苛まれている若者の心を掴んだから。

 これが日本の楽曲である。米津玄師であろうとも、サカナクションであろうとも、Perfumeであろうとも、さらさであろうとも、誰もかれも個の吐露でしかない。実話なのか自身の中で思いついた感情なのか。それは問わない。いずれにせよ、自身の感じたこと、自身の苦難、自身の想い。これら練り上げて、歌として昇華させる。それが芳しいもので、かつ懐かしい香りであるから、人気を博する。このようなものであるように私は思う。

 無論、海外でも同様なものは多く在る。しかし日本の特異な部分は、個の吐露しかないことである。特に文化に対して圧力を受けているわけでもないのに、社会性のあるメッセージは殆ど見受けられない。あるいは、大衆に受容されていない。

 

 平沢進が同様に個の吐露であるか、確証はないものの。

 

  • 仮説:和歌の継承

 さて、これは興味深いことであると同時に、自然なことであるとも思われる。

 日本人は万葉集の時代からずっと、和歌という個の吐露によって文化を成立させてきたのだから、それが現代にまで継承されているのであろう。幸いにして日本は他国による文化の崩壊を経験していないので、過去の文化が保存され加工されていたとしても何ら不可解なことではない。

 いずれにせよ、大和朝廷から続く文化を我々が堪能できるというのは、幸せなことである。アイヌのように文化を絶たれてしまった民族もあるのだから。

 

 今日の文章はあまり良くないな。語彙に乏しい。疲れているのかしら?