2022.07.23
本日は国恥記念日である。一年前、我々は国恥を植え付けられた。それも、同胞によって。一年前のこの日、我々の文化は貶められた。
そう。一年前のこの日。2021年7月23日。東京オリンピックの、開会式が行われたのであった。
- 文化に対する性暴力
ちょうど一年前、私はあの惨劇を目撃して、このように呪った。文化の陵辱である、と。
この認識は一年の時を経て何ら変化しない。そして今後も恐らく。あれは文化の陵辱である。国威発揚の祭典において、かの醜い茶番、いや排泄物と呼ぼう。排泄物を見せつけ、日本文化の尊厳を著しく傷付けたのである。もはや強姦に等しい。狂人による性的暴行である。
さらにかの国恥において憤慨すべきところは、優れたもの——瑠璃のように麗しいもの——の上に排泄物を塗りたくった点にある。元々排泄物が仕組まれていたのであれば、我々の文化はあの程度のものであった、と諦めも付く。しかしリオ・デ・ジャネイロオリンピックの閉会式において、極めて洗練された日本文化が披露されており、あの続編という形での計画も既に為されていた。我々の文化は極めて美しい瑠璃であったのだ。それを隠すに飽き足らず、排泄物を上から塗り重ね、我々の文化を排泄物と位置付けた。我々の文化を嘲笑しているとすら考えるべきである。
私は文化に対して屈辱を与える者を決して赦さない。かの排泄物を生産したすべての関係者は、日本文化を強姦した者として見るべきである。そして文化の強姦魔は、文化によって犯されなければならない。
私は、私という存在がこの世から消え去るまで、この国恥を忘れない。そしてこの日に、国恥記念日には必ず、かの陵辱を呪う。毎年毎年、欠かすこと無く。