まどどブログ

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2022.07.24 洗脳からの逃避について

2022.07.24

 

  • 洗脳の宿るところ

 なぜ人は洗脳されてしまうのか。人を信頼するから。人を信頼するので、自身の弱みをほのかに外に出してしまう。そしてその香りを嗅ぎ分けた人が、都合の良いストーリーを仕立て上げる。さらにそのストーリーを信じてしまい、語り手をも信じ切ってしまうことにより、洗脳が完成する。

 では、洗脳を防ぐにはどうすべきか。人を信頼しなければ良い。常に他者の本意を探ること。これを心に刻んでおけば、まず洗脳されることはないだろう。拠り所がそもそも失われるのだから。

 つまり、洗脳も特定の状況——暴力や薬物など非合法的ないし反倫理的な行為によって誘引されたもの——を除き、自身の責任である。

 

  • 利用されてしまったら

 それでも、例えば洗脳などによって他者に一方的に利用される状況となった場合、どうすべきか。

 そもそも他者を信頼していないので、利用されている状況を速やかに知覚すると考えて良い。知覚したら、まず自身の意志によって、その状況からの脱却を試みるべきである。出来れば支配者に致命的な出血を強いるのが良い。脱却が叶わない場合は、人間にとって最終的な脱出手段を用いるのが良いであろう。即ち自殺である。人間は幸いにして自殺を知っている。

 ただし拷問など、自身で生死を決定できない場合、この限りではない。そのときは耐え抜くのが良かろう。舌を噛み切ることが出来れば望ましいが。

 

  • 例の銃撃事件から得た着想

 例の銃撃事件について考えていたところ、このような考えに思い至ったので、記述したい。本来、彼は母を殺すべきであると結論付けるのが正しいように思われる。彼の家庭を破壊したのは宗教ではなく、彼の母の言動そのものである。この場合、直接的な加害者は母であるので、母を殺すのが復習という観点では妥当であるように思われる。

しかし世間では宗教に対する復習という大義が——当人の行動は許されざるものであるにせよ——当然のように受け入れられている。この認識の齟齬は、恐らく「洗脳された者は本人の非なく被害者である」という社会的合意が採られているが故なのであろう。私は少なくとも現状で、そう思っていない。

 なお、洗脳が現実的に、また学術的にどのようなものであるか、私は知らない。故に、この記事は私ないし私の近親者が洗脳された場合の免責とならないので、留意されたい。このような場合、言うまでもなく認められている権利を余すところなく行使する。私は理想をかたるリアリストなのだ。