まどどブログ

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2022.07.27 過去の幸いと今後について

2022.07.27

 

 人生とはなぜ、このように残酷なのだろうか。

 

  • 過去に希望はない

 過去は二度と戻らない。過去の幸いはすべて過去のもので、現在とは異質なものである。そう、異なる世界とでも捉えたほうがいい。過去に戻ることも、過去に手に入れた何かを再びこの手に取り戻すことも、もう出来やしない。過去は過去の中に保存され、取り出すことは二度と叶わない。

 つまり、過去の栄光を追い求めることは虚しいことだ。過去に夢を持つことは、誰よりも愚かしい。あの幸いに希望を見出すことはまるで、そう、丹を求めるようなものだ。不老不死などこの世に存在しないのに、不老不死の薬を求める。そうして丹を服した者は皆、死期を早める。はじめから失われている夢を追うことは罪そのものなのだ。

 労働の無い生活に戻ることは出来ない。酸いた春に戻ることは出来ない。自由気ままな旅の日々に戻ることは出来ない。すべて去った。私がこの先生きなければならない道は、週五日間拘束されて自由を奪われ、対価に賃金を得る日々。それだけだ。その現実を私は拒否できない。拒否すれば、破滅する。もう二度とあの幸いは戻らない。イエスタデイ・ワンス・モアなんて嘘だ。誰も与えてくれないじゃあないか。

 ああ、何という皮肉か。私は既に隠された夢を追っていたというのか。あの輝きはもう、二度と見られないとでも言うのか?

 では、過去を失った者はどのようにすべきか。未来に。希望を見出さなければならない。既に隠された世界とは一線を画する夢を、新しく抱かなければならない。

 その夢を私はまだ、知らない。

 

  • 誓い

 ただし一つだけ、決めていることがある。

 私はどのような悲劇に襲われようとも大人にはならない。と、決めている。大人とは何か。大人とは、何かを諦める生物のことである。妻のために。夫のために。子供のために。欲しい何かのために。誰かのために。そのような口実を以て、自身の何かを知らず識らず諦める個体。これが大人である。

 私は大人にはならない。何も諦めない。この世のすべてに問い続ける。「なぜ貴方はこのようになっているのですか?」と、疑念を忘れることもなく、幼子のように問い続ける。問い続けていたい。力の許す限り。疑念の解消を、決して諦めない。諦めたくない。

 しかし絶望してはならない。死を望むのは私の悪癖である。絶望して、世を儚んで、死を望む。あってはならない。それは非合理的な行為である。私はどこまでも、この世の根拠を問うていなければならない。死に酔いしれて、世界の根幹を忘れてはならない。

 死は逃避でしか無い。それが魅力的に映ろうとも、死は無への回帰であり逃避である。

 逃げるな。この世から。お願いだから踏ん張っていてくれ。その先に何も無かったとしても。