2022.08.04
中国人は恐ろしい。彼らは個人の単位で激烈である。かの国における取り付け騒ぎを見ていて、日本人とは明らかに何かが異なっている、と感じられて仕方がない。経済の動向如何で簡単に革命を成し遂げてしまいそうな躍動感が、彼らにはある。
広大な土地と長大な歴史を持っていようとも、かの国に生まれずに済んで良かった、と心底思っている。何も民族や国家に対して差別的感情を抱いているわけではない。ただ、かの国は果敢に過ぎる。有り余る力と勢いで何もかも推し進める風土は、悲しいまでに私の肌に合っていない。あの激しく回転する力の渦に巻き込まれたら、そのまま溺死してしまうと思う。
いくら孤独を愛していようとも、私とて日本人であった。
●余談:政治へのスタンス
このように私は典型的な日本人なので、封建的な思想を持っている。
その一環として、大衆は政治に深く関わるべきではない、と考えている。具体的には、個々の幸福に関与する部分において我々は影響を及ぼすべきであり、それ以外のことに関して触れるべきではない、というものである。
そもそも日本における伝統として、政はお上のものである。私の幸福を妨げない程度に活動していただければそれで良い。スキャンダルに興味はない。代議士先生が何をしようとも、自由民主党がどのような団体と関与していようとも、私には関係がない。私の幸福には、恐らく影響を及ぼさないのだから。好き勝手していただければ良い。私の幸福を阻害しない限り。
むしろ、スキャンダルに触れることは不愉快ですらある。スキャンダルそのものが不愉快なのではない。スキャンダルに群がる人間が醜悪極まりないのだ。なぜ個々の幸福に関与しない事象にそれほど執着できるのか、私には一切理解できない。
スキャンダルは面白くも何ともない。故に、関与しようとも自己を幸福にしない。この意味で、スキャンダルに関与することは無意味である。その無意味な現象に群がっている人間が、蠅を連想させて不愉快極まりない。
この意味でSNSは愚かしい。笑いや知識を求めて特定のワードで検索すると、このような人間が必ず目に入る。拷問か?
その実、中国のような政治体制が最も望ましいのかもしれない。しかし彼らは文化に侵食するのでいただけない。文化は政治の手が入らないからこそ、美しいのである。