まどどブログ

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2022.08.04 / 02 憎むべき人間について

2022.08.04

そのに

 

 折角なので、私がどのような者を穢らわしく思うか、ここに掲示しておきたい。これは私の利益である。どのような者を避ければ良いのか、明示しておく。また、自戒としても有効である。このような者であってはならない。

 

  • 人間嫌いの私

 そもそも私は人間が嫌いである。他の動植物がどのようなものであるか関係なく、人間は極めて醜悪である。容貌といい行動といい習性といい、ことごとく私の求めるものから離れている。故に私は人間を遠ざけている。叶うならば、十分な衣食住と文化を享受するまま孤独に生きたい。

 

  • 特筆して憎む者

 その中でも、下記のような者は極めて不愉快である。とく去られよ。

  1. 政治に対して必要以上に物申す者

 ここでの「必要以上」とは、自己の幸福や利益の充足を逸脱した範囲のことを指す。

 問答無用で関わる価値がないと断定する。親しくした友人であろうとも、葛藤の末、恐らく関係を断つことと思われる。価値は失われたと考えるのが妥当であるから。

 

  1. 自己を特別に感じている者

 自身を天才であるとか、選ばれた者であるとか、そのように自惚れている者。他者よりも高い位置に立っていると思い込んでいる者。気色悪い。人間は首をナイフで切り裂かれれば死ぬほどに、脆い。その意味で人間には大差ない。ただの肉である。肉が粋がるなよ。

 実績や地位を得たとしても同様である。我々は夕食の豚肉と同質であるということを、我々は常に意識していなければならない。我々がああなっていたかもしれないと、強く自覚しなければならない。

 なお、偏見ではあるものの、このような者は特に中高年の男性に多いように感じる。だから年は取りたくないのだ。自意識の膨れ上がることほど醜いことはない。

 

  1. 人間大好き症候群の罹患者

 全人類が人間を心の底から愛していると思い込み、その価値観を強制してくる者。これを私は「人間大好き症候群」と呼んでいる。同時多発的だから。

 人間大好き症候群の者は対処に困る。彼らは何故か、誰も彼も人間を愛していると信じ切っている。そして善意の下で、簡単に人間との交流の場——飲み会、合コン、その他もろもろ——に誘ってくる。さらに善意なので、断ると非常に機嫌を損ねる。悪評を至るところに撒いて他者を苦しめる。

 最悪だ。世界の広さを知ってくれ。人間を嫌う人間は、思ったより多く居るんだから。

 

  1. 感情や欲求に言動を支配されている者

 交流そのものが完全に時間の無駄である。私の利益にならない。

 これは多くの場合を包括している。

 

 例えば、他者を不用意に貶める者。合理的に考えれば、ある程度の融和を維持するほうが自己の利益には繋がりやすい。他者の保有する権益を得られる可能性が高まるためだ。それを無視しているということは、殆どの場合、支配欲や激情といったものに支配されている。故に無価値である。

 

 例えば、悲観的なことを永遠と述べている者。現実から目を背けているに過ぎない。確かに、事実としてこの世は悲劇である。この世は愚かしく、醜く、また穢らわしい。誰かが助けてくれることもない。人間はただ、自身を食い荒らすためだけに存在している。なにより、何故か我々は働かなければいけない。合理に乏しい、悲しい世界だ。

 しかし、こんなことは述べるまでもない。事実なのだから。仮に生きるのであれば、これと向き合っていかなければならない。では、どうやって。これこそ合理の要請なのである。それを無視して、事実をただ無駄に長く述べるのは、完全に感情の支配下にある者の行動である。意味がないから。

 合理的に考えれば、悲劇と向き合って生きるか、それとも悲劇から逃れて死ぬか、この二択に限られる。生死に中庸は無い。この世は悲劇である。前提である。いつまでも言うな。不愉快だ。

 これは現実のすべての事象に当てはまる。生きるか死ぬか。それが問題だ。どのような局面においても。

 

  1. 合理を拾わぬ者

 前項と重複する部分もあるかもしれないが、特記しておきたい。

 世界は合理に溢れている。最たるものは「統計」である。統計は人間の主観を排除する中で、最も優れている。無論、調査方法や解釈には最大限の注意が求められるものの、適切に調査されたものでは人間から離れた、世界の有様そのものを観察することが出来る。統計の他にも、査読された論文など、この世界には合理が至るところに落ちている。

 このような合理を拾わず、自身の都合の良い解釈のみ味わうものは、貶められるべきである。

 人間は合理に努めなければならない。合理を選ばぬ者など、少なくとも私の世界に入るべきではない。