まどどブログ

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2022.08.08 「朝は時間がない」という風説と労働について

2022.08.08

 

  • 「朝は時間が無い」とは正しいか?

 よく「朝は時間がない」と言われる。しかし、そんなはずは無い。朝に時刻は存在しているのだから。一般的な生活リズムを送っている人間は「朝」と呼ばれる、概ね午前十時までに起床し、ある程度の余暇を持っている。故に時間は有るのだ。

 時間が短い、という指摘も当らない。時刻というのは——少なくとも時計の述べる段階で——平等である。朝の一時間と夜の一時間とは、極めて平等に存在している。朝の時間だけが縮小されるはずもない。この意味でも、「朝は時間がない」ことなど有り得ない。

 つまり、「朝は時間がない」という言説の意味するところは、時間が短く感じられる、ということに過ぎない。即ち自発的な感動なのである。その責任を時間に押し付けるべきではない。

 

  • 現代の朝:悪魔の世界

 ではなぜ、我々は朝を短く感じられるのであろうか。恐らく、忙しいから。起床して朝食を摂って顔を洗って歯を磨いて身支度して出かける。その変化があまりに目まぐるしいので、我々は時間への注意を怠る。そして気づけば朝は終わっている。登校ないし出社を果たすことによって。

 悲劇である。「朝は時間がない」と思わされるような状況に、我々現代人は追い込まれているのだ。もはや現代人にとって、朝とは苦悩でしかない。夜に宿るべき悪魔が、朝に宿ってしまっている。

 

  • 朝は豊穣を

 しかし、朝は本来、豊かでなければならない。朝とは一日を始動させる装置である。朝の生活が一日を決定する。朝を慌ただしく過ごせば、一日は焦燥の中で果てる。それではあまりに悲しい。朝を豊かにして、一日を豊穣に包まなければならない。

 現代において、朝はどのように豊かとすべきか。二つ、手段はある。

 第一に、時間そのものを拡張すること。起床時間を早めて、朝と呼べる時間そのものを拡張する。それによって忙しい時間は多少なりとも減少する。ただし、朝の弱い人間——例えば私——にはこの方法は難しいであろう。

 第二に、朝のタスクを極力削減すること。出来ること——例えば荷造りや衣服の準備、朝食の用意など——はすべて夜のうちに済ませて、朝の身支度は必要最小限に留める。朝に少しでも余暇を持たせて豊かさを確保する、という狙いである。ただし、飲食や歯磨きなど、最低限のタスクは朝に残されてしまうので、この手法で発生させられる余暇には限度がある。

 

  • 労働は朝に巣食う

 お手上げだ。現代社会で朝を豊かにする方法など何一つ無い。

 そもそも活動開始時刻があまりに早い。特殊な職種でも無ければ午前九時に作業開始など馬鹿げている。どんなに切実な努力を重ねたところで、最低でも午前八時には起きなければならない。朝を豊かにしようと企めば、午前六時か? 馬鹿馬鹿しい。午前六時に望んで起きられる人類が、一体この世にどれほど居るというのか?

 論を展開しよう。労働に対する憎悪が私の筆にマグマとなって伝っている。

 そもそも拘束時間が異様に長いから活動開始も異様に早いのではないか。夜の開始を午後六時と定義する。午後六時に活動を終了するためには、途中の休憩時間を含んで、必ず午前九時には活動開始を強いられる。即ち午前九時の活動開始時刻は最も早いラインではなくて、最も遅いラインなのだ。これ以上、普遍的労働者は活動開始時刻を後倒しに出来ない。

 だいたい八時間も時間を奪われて、どうやって一日を豊かにすれば良いというのか。労働時間は八時間。睡眠時間は最低でも八時間。一日は二十四時間。減算すれば、自身に費やすことのできる時間はたった八時間しか無い。生活に要する時間や通勤時間を除けば二時間程度。自身の時間はたった二時間だけ。そして大抵、残業という形で魂の時間すら完全に奪われる。

 

  • 新しい労働時間の提案

 あまりに嘆かわしい。狂っているのか。完全に労働を廃止せよ、とは言わない。労働が無ければ正気を保てない人間の多く在ることは、また事実だから。労働の廃止された世界は、人類にとって恐らくまだ早い。

 ただし週休三日、一日四時間労働にせよ。四時間労働であれば、午後二時に労働を開始したとしても夜に入らず終了できる。朝も夜も、自身の魂を養生する時間として確保できる。経営者は人件費を削減できるし、労働者は自らを豊かにできるし、労使共々ハッピー。みな幸せ。素晴らしい。こんな愛らしい世界を、私は見てみたい。

 ああ、なんと素晴らしい案だろうか。今直ぐ実行せよ。人間、働くべきじゃない。殆どの人類が首肯する普遍的価値観、即ち善を、いま我々は実現しなければならない。善良な者に神は微笑むのだから。