まどどブログ

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2022.08.12 労働における他者について

2022.08.12

 

 まったく身体が重い。思考もおぼつかない。とりわけ何か気に病んでいるわけでもないが、文字を連ねていると息切れするような感覚に襲われ、姿勢を正しく保つことが出来ない。

 仕事のことを考えてしまったからであろうか。労働のことなど、一秒たりとも考えるべきではない。

 

  • イヴェントとしての他者

 労働における他者とは何であろうか。私は人間でなく、イヴェントだと考える。

 そもそも労働とは何か。労働とは資金を得る行為である。労働によって賃金を得なければ現代社会において生きていくことは難しいので、皆労働に邁進する。生活資金が潤沢にあって、自身によってコントロールできるような者であれば、労働など絶対にしない。故に労働は生活資金を得る行為である。それ以外の何物でもない。労働は娯楽でも、人助けでも、生きがいでも何でもない。

 労働が金を得る行為であるので、労働において関わる人間は皆、金を得る行為において関わる人間と置き換えられる。金を得る行為の他には一切関わることのない人間、とも言えよう。労働において関わる人間——同僚、上司、取引先——は皆、金によって結ばれた関係である。労働を必要としない状況となれば、即ち金が切れて仕舞えば、縁は簡単に切断される。金の切れ目が縁の切れ目、というわけだ。

 故に労働における他者は人間ではない。労働——生活資金獲得活動の中で出現するイヴェントと認知すべきである。NPCが陰口を言おうとも、自身の生活資金獲得活動には殆ど影響しないし、また自身の生活にも一切の効力を発揮しない。どのような者でも、生活資金獲得活動の中で発生するイヴェントのNPCでしか無い。無論、生活資金獲得活動の障害とならぬよう、NPCにも一定の配慮を見せる必要はある。それでもNPCは、対等に、深く、親しみを持って接する人間と成り得ない。そのような者は労働の外に作るべき存在である。

 

  • 補記

 言うまでもなくこれは誇張表現である。しかしこうでも思わなければ労働なんて出来っこない。それほど人間は醜く煩わしい。労働を嫌う最たる理由は人間だ。人間が干渉しなければ、これほど労働を毛嫌いすることも無かっただろうに。