2022.08.13
私に関して言えば、音楽とは二つの要素を持つ。
- 城壁としての音楽
第一に、音楽は城壁である。
私はどうにも繊細な質で、周囲の音や声に過剰に反応してしまう。例えば人が何か話していたとする。見知らぬ赤の他人であったとしても、何故かその内容が気になってしまう。あるいは虫の鳴き声や自動車の行き交うエンジン音などにも、気を取られてしまうことがある。そうして、必要ないものに気を配る。
音楽はそのような状況に対して有用に働く。音楽という自身のコントロールに置かれた、整った音を流し続けることによって、想定から離れた音を完全にシャットダウンする。そして、自身の本来為すべきこと、本来あるべき姿に立ち返る。この意味で、音楽は私という市街を守る城壁である。
- 宇宙としての音楽
第二に、音楽は宇宙である。
宛もなく音楽の世界を漂っていると、旋律に新たな風景を見出すことがある。具体的に、こう、とは言えないが、新規性に富んだ楽曲を耳にしたとき、どこか、新たな土地に相見えているかのような、そのような感覚を覚える。そして漂っていて、飽きることがない。どこまでも遠く続いていて、どこまでも美しい風景が待っている。この意味で、音楽は奥深い宇宙である。
むしろ、宇宙の中で遭遇したものが、私の城壁を為す煉瓦となっているのかもしれない。いずれにせよ、音楽は私をよく助けている。
- 補記
本題と離れるが、この一週間は極めて怠惰に過ごしてしまった。
いつもこうだ。心血注ぐ——他者から見ればナマケモノの疾走の如き愚鈍さであろうが——時期が一週間〜数週間続いた後、動くことの能わぬ日々が一週間程度続く。そして、どこか胸の奥底に熱を感じたとき、またナマケモノの疾走を見せる。この繰り返し。
様々努力したものの、どうにも怠惰の時期を潰すことは難しいらしい。怠惰の時期には何もしないことが、努力の時期へと至る時間を短く出来るような気もしているが、果たして。