まどどブログ

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2022.08.23 「ムズカシイ」言葉について

2022.08.23

 

 私は宮沢賢治の世界を愛している。彼の物語は、私の目指すべき世界の像が見て取れる。銀河鉄道の夜は特に。

 しかし彼の物語、価値観の中でも、どうしても共感を困難にさせるものがある。それは、「ムズカシイ言葉」に対する態度である。

 ツェねずみか何だったか。どのものであったかは忘れたが、彼は物語を通して、学者や政治家など「ムズカシイ」——世間において広く流通していない——言葉を好んで用いる層に対して批判的な目を向けている。しかし私はこれに共感できない。

 確かに意味もなく「ムズカシイ」言葉を用いるのは好ましいものではない。それは驕りであり、人間として恥ずべき行為である。しかし「ムズカシイ」言葉は平たい言葉と若干のニュアンスの差異がある。例えば「思惟する」と「思う」では、「惟」の分だけ僅かながら言葉の持つ重みが異なる。また「化粧する」と「粉黛をほどこす」では、指す意味が同じであろうと、脳内に湧き上がるイメージは若干異なる。この差異が現実に発生しているので、イメージと一致する言葉を用いようとするとき、ある程度「ムズカシイ」言葉は引かざるを得ないように思われる。

 故に「ムズカシイ」言葉の発現は避け難い事象であり、それに対して批判的精神を抱くのは同意できない。無論、何を以て「ムズカシイ」言葉であると定義付けるかにもよって議論は移っていくだろうが、少なくとも児童含め万人に容易く理解されるような言葉で、この世を言い尽くすことは出来ないと考える。

 

 それに、日々「ムズカシイ」言葉を用いておいて慣れ親しんでおかなければ、限られた語彙の中で表現を強いられることとなり、結果として自身の表現の幅は大きく狭まる。人間は本来、仮に誹りを免れなくとも、積極的に「ムズカシイ」言葉を用いるべきなのだ。自らを豊かなものと為すために。