まどどブログ

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2022.08.27 戦争における敗北の基盤について

2022.08.27

 

上手な戦争

戦争はすべきではない。平和は最も望まれる社会形態である。

このようなことを言うのは愚かしい。現に人間は愚かで、戦争は決して無くならない。無くならないのであれば、ある程度優位を保ったまま立ち回る必要がある。戦争において敗北とは、悲惨そのものだから。

では、どのようにすべきか。知らない。が、必ず避けるべき状態ならば、一つだけ思い浮かぶ。戦争論孫子を読んでいないので適切かどうか分かりかねるが、私の妄想を述べよう。

自国への侵入を許すこと。これだけは戦争において避けなければならない。どのような状況であれ、自国への侵入を許した時点である種の敗北と捉えるべきであると考えている。何故か。自国民が肉の盾となってしまっているから。

ここでは直接的、間接的の二つに分けて説明したい。

 

自国内の敵陣

第一に、直接自国内に侵入され、敵陣の形成されてしまった場合について述べる。

仮に自国外の領域で戦闘が展開されていれば、自国の観点で躊躇することは何もない。殲滅して良い。しかし自国に侵入され、自国の中に敵陣が出来上がって仕舞えば話は異なる。例えば北海道にロシア軍が侵入して、釧路を占領されてしまったとする。当然日本は反撃に出るわけだが、釧路には釧路市民、即ち日本国民が在住している。このとき、「全市民が軍に協力しているので戦闘員である」などと難癖を付け、大規模空襲を実施し、更地にしたところで攻め込んで奪還する。そういうことは出来なくなる。自国民虐殺としてロシアのプロパガンダに利用されるだろうし、仮に奪還を果たしても強い怨念が残り、少なからず戦後の政策に支障を来す。

このような事情があるので、自国内での戦闘にて採り得る戦略は、自国外での戦闘のそれと比べ明らかに制限される。故に奪還も困難なものとなる。

 

空からこんにちは

第二に、防空圏の制圧など間接的に自国への侵入を許してしまっている場合。

これも同様に敗北である。敵の一存で、自国の大事な何かを殲滅させられる可能性があるから。明治日本の末期がそうである。広島や長崎のように、大国の実験場となる可能性すらある。

 

これだけは避けるのが良いと、私は考える。現代において、避けられるのだろうか。