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2022.08.28 欲望と大義名分について

2022.08.28

 

欲望と大義名分

人間は何故か、自身の欲望に大義名分を欲する。例えば親は息子の未来を案じて子に恋愛を進めるが、それは単に自身が孫を欲しているからに過ぎない。あるいは上司は部下の成長を願って多くの業務を部下に担わせるが、それは単に自身が怠慢を欲しているからに過ぎない。さらに政治家は社会秩序を愛してセクシャルマイノリティを糾弾するが、それは単に自身がセクシャルマイノリティからの逃避を欲しているからに過ぎない。

このように人間は自身の願望に大義名分を見出し、その御旗の下で働く。そして大義名分が世論に沿ったものであれば世論は受け入れるし、離れたものであれば潰される。

 

大義名分を破棄せよ

これが私には不思議でならない。なぜ、人間は大義名分を挟むのか。世論の審判で大義名分が取捨されるのであれば、大義名分を用いず、個人の欲求を述べたところで何も変化が無いではないか。

孫が欲しい、だから結婚して子を成せ。怠けたい、だからお前が働け。奴らは気持ち悪い、だから排除せよ。このように個々の観点で物事を語り戦わせたところで、世論の審判を受けるという意味では何も変わらない。むしろ、大義名分によって覆い隠されることのない分、個々の考えが詳らかになるため、議論の速やかに進むことが期待される。

このように大義名分を破棄して個々の思想を明らかにすることが効率的な社会運用へと繋がると私は考えるが、どうだろう。