まどどブログ

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2022.08.30 日本の未来と高度経済成長期との比較について

2022.08.30

 

 最近、高度経済成長やバブルを思い起こして今の凋落ぶりを嘆く、そのような言説を多く見かける。日本人はあれほど輝いていたというのに、今はどうだ、日々貧しくなっていき、国際的な競争力は失われ、若者の未来は絶たれていくではないか。そういうことを述べる者が居る。過去の日本は優れていて、今の日本は劣っている。そう言いたいらしい。

 この言説について、私はある欠点を発見した。それは、労働環境の違いをまったく考慮していない、という点である。高度経済成長期やバブル期の労働者は、現代の我々と同じような労働に従事していただろうか。仮にここで「そうだ」と答える者が居るならば、恥ずべき存在であると断罪せざるを得ない。我々は彼らと異なる。

 彼らはそれこそ、企業戦士であった。私生活よりも仕事。家族よりも仕事。家族を守るのは妻の務め。そのような価値観の下で、企業戦士はモーレツに働いていた。残業もパワハラも何のその。精神衛生もへったくれもない。労働だけ見て彼らは邁進していた。その結果として生み出されたのが、高度経済成長であり、バブルである。この結果が導かれるのには、それに相応しい過程が在ったのだ。

 翻って、我々若者はいかがか。我々若者が彼らのような企業戦士を体験したら、一体どのようになるだろうか。恐らく半数以上の者は精神を病み、使い物にならなくなってしまうだろう。我々の世代は、少なくとも日本の「黄金時代」の世代に比べ、非常に穏やかな労働環境を約束されている—–少なくとも大企業に関しては。労働時間やハラスメントに関して厳しい規制と、それに即した管理体制が用意されている。メンタルヘルスの重要性も広く知られ、休職や転職といった道も過去に比べれば開けている。このような穏やかな環境を用意されていれば、アウトプットも当然のことながら穏やかなものとなる。

 つまり、アウトプットの緩急は労働環境の緩急に過ぎない。モーレツに働いていれば成長は目覚ましいものとなるし、穏やかに働いていれば成長は微笑ましいものとなる。その要素を無視して結果のみ掲示し、現状は過去よりも劣っているので未来は無い、などと喧伝するのは、虚偽に近い。もはやデマゴーグである。

 

  • 未来とは何か?

 しかし現にアウトプットは劣っている。未来はない。そのように唱える者がいれば、私はこのように言いたい。

 私はモーレツに働きたいと思わない。私は企業戦士になりたいと思わない。そして恐らく、若者世代の多くが私と同じように思っている。皆、労働に生きがいを見出していない。単なる生活資金獲得活動に過ぎない。であれば、このまま穏やかに暮らすのが我々における未来である。決してモーレツサラリーマンが我々の未来ではない。

 未来とは相対的なものである。我々がこの道を選んだのだから、その未来は我々にとって幸いでなければならない。今の時代は令和であって、昭和ではないのだ。