まどどブログ

普通の男子大学生が、有名作家になるか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.09.02 プライベートの悩みについて

2022.09.02

 

 今日はプライベートの事項に関して述べる。

 

  • 惰眠と活発に関する悩み

 やっと身体と脳髄の重い日々が終わった。何も考えられないし、何も出来ない。何をするにも疲れてしまう。そういう日々が、やっと終わりを告げたのだ。終わって仕舞えば、私は比較的精力的な活動を許可される。

 しかし考えてみれば、私とはこのような人間であったように思える。そもそも私は幼い頃から、無気力な子供であった。小学校の委員会活動で、半ば強制的なものであるのにも関わらず、唯一役職に就くことのなかったような人間である。理由は単に、面倒だったから。面倒というたった一つの理由で、役職を避け続けていたような人間であるのだ、私は。

 つまり私は元来、このような人間であったと考えるのが妥当である。むしろ活発なときは神々の与え給うた恵み、とでも考えるのが良い。一般的な人間は他者との交流を気軽に実行するが、私にとってそれは偶然の産物でしかない。そもそも私は何もしたくないし、寝転がっていたいし、眠っていたいのだ。睡眠こそ私の本来の役割であって、活動は幸運の所業である。

 このように考えるのが望ましい。思い詰めても仕方がない。恐らく、生得的にこのような性質であるのだ。

 故に、その性質を変えるより、その性質に寄り添っていくのが良い。つまり、元気なときには極めて活発に動き回り、精根尽き果てたときには惰眠を貪る。このようにして、活動総量を最大化する他にない。無気力時のアウトプットを拡大するのは、それが実現した後で良い。

 

  • 性的事情の悩み

 私は性的事情に関して、ある悩みを抱えている。

 私はもはや成人を迎えてから非常に長い日を送っている。しかし経験回数も経験人数も片手で余るほどに少ない。性欲そのものは旺盛だし、同性愛者であるので、私が望めば恐らく簡単に行為に及ぶことも出来る。現に、誰彼からのコンタクトが無いわけでもない。それでもご無沙汰になってしまった。

 では、何故か。二つ考えられる。第一に、そもそも人間にそこまで興味がない。恥を忍んで告白すれば、人間の造形にそこまで興奮しない。選り好みの段階ではなく、本当に人間の造形に興味がない。不快にすら思う場面も少なくない。そのため、人間に対する性的興奮について、多くの部分を聴覚と触覚、そして嗅覚に依存している。アプリではその部分を認識できないので、そもそも行為への欲求が大きく湧き上がらない。ケモナーの宿命である。

 第二に、情欲に駆られる期間があまりに短い。男であれば誰しも情欲に焦がされるような感覚というものを味わったことはあると思うが、私の場合、それは極めて速やかに過ぎ去ってしまう。具体的には、一ヶ月に一回、六時間程度であろうか。その間に相手を確保できなければ、冷める。発情の最中に来るメッセージには、心踊らせ行為に思い馳せるが、発情が終われば、どんなメッセージも響かない。適当に返すが、無視する。面倒だから。

 多くの者が恐らく同様であることは理解している。そして現に、性的交渉に対する情欲が無いわけではないのだから、発情を待たず相手を確保しておくべきであるとは思っている。だが、そうしない。面倒だから。

 

 そもそも性交渉は多く持つべきものなんだろうか? 一般論として、若いうちに多くのことを経験しておくと後々便利であり、性交渉もその一環であると考える。が、多くの経験を持つことは果たして有効な手段足り得るのだろうか? 同性愛者の自己顕示くらいにしか役立たないのではないだろうか?

 まあ、このようなことを真面目に考えても詮無きことである。発散したいのであればすれば良いし、そうでないのならしなければ良い。その程度に考えるのが良い。