まどどブログ

普通の男子大学生が、有名作家になるか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.09.05 性的指向のカミングアウトについて

2022.09.05

 

  • カミングアウトは合理的に選択されるか?

 セクシャルマイノリティについて、カミングアウトという言葉を耳にする。自身の性的指向を家族や友人など他者に打ち明けることを指す。

 これについて、トランスジェンダーのように、戸籍の変更など法的手続きを要するマイノリティであれば、カミングアウトには合理性も伴うと考える。名前や性別の変更を関係者——即ち家族——に知らせずに実行するのは大いなる混乱を招くし、後の何らかの行事——例えば両親の死——において支障を来すことが予想される。故に、この場合のカミングアウトはそのような混乱を排除するという意味で、むしろ推奨される手続きであると思われる。

 しかし私に分からない、即ち合理性を見出だせないのは、それ以外のカミングアウトである。例えばゲイのカミングアウトする意味が分からない。

 これについて、今日は述べたいと思う。以前も述べたが、その際は感情が混ざってしまったので、今回は理性に則って筆を進めたい。

 

  • 性的指向のカミングアウトは特殊性を持つか?

 法的手続きに係らない、つまり単に性的指向を表示することだけが目的のカミングアウトについて、私は極めて否定的である。二つの観点から、このカミングアウトを否定したい。

 第一に、性的指向というプライベートな情報を表示することに関して、特別な意義を見出だせない。言い換えれば、性的指向も単なるパーソナリティの一種で、それを声高に主張するだけの特殊性を認めることが出来ない。

 ここでの「プライベートな情報」とは何か。それは、自ら明示しない限り知られることのない情報のことを指している。例えば好きなゲームはその一つである。私はピクミンというゲームが好きであるが、このことは多くの者に知られていない。ゲームの話題が出て、好きなゲームを尋ねられて、初めて暴露するものである。そのような会話の流れにでもならない限り、私の好きなゲームがピクミンだとは知られることもない。故に、「好きなゲームがピクミン」という情報はプライベートな情報と考えられる。

 さて、性的指向はどうだろうか。現状、人間は基本的に異性愛者と認められている。衆人環視の下でセックスをしているわけではないし、セクシャルマイノリティのコミュニティが閉鎖的で、公衆の目に留まりにくいこともあって、黙っていれば異性愛者と認定されるだろう。即ち、性的指向を誰かに知られるというのは、自ら言わない、ないし不注意でその証拠を押さえられない限り、有り得ない。以上より、ゲームと同じように、これもまたプライベートな情報の一種として認識するのが適当であると考えられる。

 そしてカミングアウトというのは、このプライベートな情報を自ら明かすという点にある。では、何故この「性的指向」だけをフォーカスするのだろうか。「私はピクミンが好きである」という情報と「私は同性愛者である」という情報は、根底で等しいと思われる。それなのに、性的指向を敢えてカミングアウトするのは何故か。性的指向をカミングアウトするのと同様の意気込みで、好きなゲームもカミングアウトしなければならないのに、そうしないのは何故か。

 ここで私が言いたいのは、性的指向のカミングアウトに対して特殊性を過剰に付与しているのではないか、ということにある。性的指向はそもそもそこまで重要なファクターではない。現代日本において、家族を捨てて、独身の道を選ぶことは容易い。基本的に異性と関係を持つことも、子を生産することも強いられない。故に、性的指向を敢えて開示する必要性も乏しい。それでいて、なお性的指向の開示だけを重視する理由が、私にはよく分からない。性的指向をカミングアウトするのであれば、同時にプライベートな情報、即ち自身の中で抱え込んでいる情報はすべて公のものとしなければならない。それが出来ないのであれば、性的指向を開示する意義は見出だせない。

 

 なお、「異性愛者のフリをしなければならないのが苦しい」という事柄も、特殊性の付与には何ら作用しない。そのような事柄はあまりに多く存在している。

 

  • カミングアウト:ハイリスク・ローリターン

 第二に、カミングアウトによって得られる利益がリスクに対して乏しいことにある。第一の議論を無視したところで、カミングアウトは予想されるロスが大きく、期待されるリターンは遥かに劣る。故に、カミングアウトは合理的な選択として排除される。

 カミングアウトによって得られるリターンは何か。二つ考えられる。一つは、家族に対する心理的コストの低減。家族に対して有りもしない恋愛観や人生展望を語らずに済み、素直な心で接せられるという観点で、わだかまりや躊躇など心の中での疲労は減少させられる可能性がある。一つは、結婚圧力などからの解放。そもそも通常の結婚が望めないという点で、結婚に対する異様な執着から逃れられることが期待される。なお、同志を獲得できる可能性は極めて低いので、リターンとして数えるべきではない。

 このリターンの特色として、あくまで内面でのリターンが大きいという点がある。確かにカミングアウトによって気は楽になるかもしれない。不可思議な圧力から脱せられるかもしれない。しかし、それは単に自己の中でのリターンに過ぎない。外部から見た「自分」は、あまり変わっていない。

 対するロスは何か。二つ考えられる。一つは、人間関係の破綻。打ち明けることによってあらぬ誤解を招き、関係を断絶される。もう一つは、社会的地位の低下。人間関係の破綻から派生し、多くの者に風評が知れ渡ることによって、社会的地位の低下そのものが発生する。このようなロスが可能性として考えられる。

 この場合、外面でのロスが大きくなってしまう。人間関係の破綻は、群れの動物である人間にとって致命的な欠陥をもたらす。相手の持つ社会的効力を一切利用できなくなってしまうのだ。例えば関係の断絶した者が官僚になったとする。カミングアウトを避けていれば、ある程度の恩恵を被ることが出来たかもしれない。しかし、カミングアウトによって人間関係が途絶して仕舞えば、その者の持つ利権には一切アクセスできなくなる。あるいは、その者を伝って、自身のビジネスに役立つ人脈が獲得できたかもしれない。それも、もう出来ない。たかが一人の人間であっても、その者が社会に与える影響は甚大なものかもしれない。それをみすみす逃してしまうことに繋がりかねない。社会的地位の低下にまで連鎖して仕舞えば、もう目も当てられない。

 今回は単純化のため相手を官僚と仮定したが、そのような特別な地位に在るものでなくとも議論は変わらない。一人の人間には多少なりとも利権があり、人脈がある。それを利用できないのは、自身の人生において損失である。カミングアウトは損失を生む可能性がある。なお、これが家族であればいっそう悲惨である。避難所を失うに等しい。災害に遭えば即ち死ぬ。

 つまり、カミングアウトのリターンについては単なる自己満足に留まる可能性が高いが、ロスについては社会生活に多少なりとも損害を生む可能性が高い。このことを考えたとき、カミングアウトのリスクはあまりに大きく、しかもリターンは小さいと言わざるを得ない。故に、カミングアウトは選択肢として排除される。

 

  • まとめ

 以上より、性的指向のカミングアウトは自己開示において何ら特殊性を持つものでもなく、かつリスクの大きい行為であるので、他に合理的説明の無い限り、実行するべきではない。

 少なくとも私の目では、自己満足の他に意義を見出だせない。それも煙草のようなものである。煙で見えなくしているときは心地良いが、速やかに霧は晴れ、不愉快な陽光が脳を曝け出す。

 

 確かに混乱の最中に在る者にとって、カミングアウトは魅力的である。が、落ち着いて考えてほしい。どうせ二年も経てば慣れる。人間は——肉親含め——皆嘘吐きなのだから、悩める者もそのように生きるのが良い。