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2022.09.25 「私とは誰か?」という問いについて

2022.09.25

 

  • 私とは誰か?

 私とは誰か?

 これについて、「私は〇〇です」と、識別記号を発する者と対話を持つことは出来ない。名前というのは単に「私はこのように識別される」という記号に過ぎず、私という存在を説明しているとは言い難い。無論、他の名前を与えられているのであれば、また異なる「私」の出現することは考えられようが、それでも「私」そのものが変質することは考え難い。故に、名前は私を他者から判別する手段であっても、私そのものを指し示す言葉では決して無い。

 では私とは誰か? 私とはどのようなもので、私とはどのように説明されるべきか?

 ところで、人は多くの場面で、仮面を被って生活している。いいえ、私は仮面を被って生活していません。いいえ、貴方もまた、仮面を被っています。例えば地元の友人に対する「私」と、家族に対する「私」、そして大学や職場の同期に対する「私」とは、明らかに異質なものである。地元の友人にはひどく下品な会話を愉しむ人間としての一面を見せつつ、家族では親に従順で大人しい人間として振る舞う。そして職場の同期には、穏やかで理知に満ちたような素振りを見せたがる。人間は場面に応じて、環境に求められている「私」を見せる。つまり「私」はその場に応じて変化し、留まるところを知らない。

 では私とは一体、誰のことを指すのか? 揺れ動く「私」の中で、どれが自己に立脚した「私」なのか? そもそもすべて私なのか? では、なぜ「私」は変化するのか?

 家に居るときの「私」が私なのであろうか。しかしそれも、あくまで家という環境に求められた「私」でしか無いのではないだろうか。家という隔離された空間において、あくまで肉体の緊張を緩め、健全な状態で保存するため、コントロールされた「私」を演じているに過ぎないのではないだろうか。

 さて、私とは誰なのか。あるいは、誰の書を読めば、私を理解できるのだろうか?