2022.10.03
- なぜ私は生きているのか?
昨日の議論を踏まえて考えれば、このようにも捉えられる。現状の苦悩は生の不在が引き起こしているものであり、生を在るものにして仕舞えばその苦悩も自ずと解消されることが期待される。つまり、生きる意義を見出だせば良い。
言うは易きことなれど、生の意義を明瞭に言語化して己の中に留めておく、というのは困難を伴う作業でもある。少なくとも、私はこの数年、「なぜ私は生きているのか?」という命題に対し続け、そして何の答えも発見できず、今まで生きてしまっている。命題そのものを忘れていたこともあるので、確かに数年を費やしたとは断言できないものの、少なくとも一定の思惟を以てしても到達し得ない世界がそれである。
ただし、命題そのものを据えることで、今後の人生におけるある目的を手に入れることともなる。つまり、言動に一貫性が付与され、生という見果てぬ大地に一線の鋭い道が通ることになる。道が明瞭であるならば、その行き着く先もまた、いずれは見えてくるのではないか。その道を進んでさえいれば。
何が言いたいか。生の意義を問い続けること。どのような活動においても、生の意義を確立する、という信念を持ち続けること。私が生まれた意味を、私の目で見届けること。それが、合理的に死ぬべき存在でありながら非合理的に生を愛してしまっている、という矛盾から私を解放する、現状では唯一の手段なのではないだろうか。