まどどブログ

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人間を正直にさせる「嬉し涙」について

2022.10.06

 

  • 人間の感情は信頼されるか?

 基本的に、人間は信頼すべきではない。それは人間が嘘を吐く生物であることに由来する。人間は言うまでもなく、自らを利するように行動する生物である。自らの利に反することは言わない。それは事実を歪曲されることに繋がる。これが嘘である。人間は利己的な生物である以上、必ず嘘を吐く。その嘘が自らにとっても利益であればよいが、多くの場合、他人の嘘というのは自身の害となる。故に人間は多かれ少なかれ害をもたらす生物であり、被害というリスクを避けるためには、人間を心の底から信頼すべきではない。

 これは感情という、表面上は人間の本性の部分——即ち嘘ではない部分——においても例外ではない。人間は勘定においても嘘を吐くことが出来る。何故か。他者から見た感情とはあくまで肉体的な反応でしかなく、肉体反応を故意に操作すれば簡単に偽造された「感情」が完成するから。例えば「楽しい」「嬉しい」という感情を示さなければならないとする。このとき、人間は表情筋を少し緊張させ、口角と目尻を上げれば良い。何も心の底から「楽しい」「嬉しい」などと思う必要は無い。また悲しみを表現する際には、表情筋の適度な弛緩さえ実行できればそれで良い。このようにして人間は、感情においてすら嘘つきである。故に人間の感情ですら、信頼すべきではない。

 

  • 感涙は偽造されるか?

 しかし、感情においてたった一つ、偽造され難い、即ち肉体反応として実施し難いものがある。それは涙である。涙とは、基本的に流れない。神経系の働きが涙という肉体反応を導き出すのだ。表情筋を少し操作すれば済むようなものではなく、これを偽造するのは相当の困難が伴う。

 それでも悔し涙、悲し涙など、マイナスの感情の発する涙というのは、まだ容易い。基本的に涙というのはそのような体験と結び付けられているので、その際のことを克明に思い出し、現在の自らに憑依させることによって、その肉体反応を模倣できる。大いなる努力は伴うが、それでも偽造出来ないわけではない。

 だが感涙の部類はどうだろう。殆ど多くの人間にとって偽造できないものであるように思われる。そもそも感涙にむせぶことなど、普通に生きていて体験することがあろうか。体験できなければ偽造しようがない。あるいは、仮にそのような経験を持っていたとしても、同じ涙を流した中で回数において圧倒的に凌駕するであろう悔し涙、悲し涙の記憶を抑えつつ、ただ感涙のみを偽造するのは、常人に為せる業ではない。感涙の偽造が出来る者は、役者の適性を持っていると言っても良いだろう。

 つまり感涙は、偽造の素となる体験に乏しいし、その体験を持っていても、同じ涙として悔しさや悲しみを伴った経験のほうが明らかに多いことと思われるので、それらを抑えなければならないという観点で、偽造は極めて困難である。

 そして感情の偽造が困難であるものに限って、人間は嘘を吐くことが出来ないので、信頼に値すると結論付けられる。即ち人間を信頼して良いのは、彼が感涙に咽ぶ、そのときに限る。人間は人を欺くことの出来ない状況に限って、正しい者となる。