まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.10.23 現実からの逃避としての作品について

2022.10.23

 

  • 作品は人に何を与えるか?

 絵でも小説でも漫画でも、何でも、作品に触れることは何を意味するか? 人は作品に触れることで、何を得るか? 様々なものが考えられようが、その一つには明らかに、現実からの逃避があると思う。

 現実は多かれ少なかれ、誰にとっても望ましいものではない。少なくとも、現実のすべてを愛することは、普遍的倫理観を抱いている人間であれば出来ない。しかし我々は現実に生きなければならない。このことは、ある種、息の詰まるような思いを人間に抱かせる。

 ここで作品は有用に働く——現実からの逃避点として。作品の多くでは、現実という醜悪な要因が完全に排除されている。いわば、美しいものだけが、作品の中には浮き出ている。ここで我々は作品に没頭し、作品の中に自己を溶け込ませることによって、現実における自己、現実というキャンバスに描かれている自己を消し去る——厳密に言えば、忘れ去ることが出来る。ここに美の中に生きる我々は完成され、現実からの逃避は成就する。

 つまり作品とは、現実からの逃避である。洒落て言えば、美へのバカンスか。現実に別れを告げたいのであれば、作品に逃げるのもまた一興である。無論、死を選ぶのも否定されるべきことではないが。

 

  • 作品は現実からの逃避点でなければならないか?

 ただし、作品は常に現実からの逃避点でなければならない、ということでもない。あくまで一部にはそのような要因がある、と述べているに過ぎない。作品とは多様な側面を持っていて、その一部には現実からの逃避点というものもある、と述べているに過ぎない。作品は自由であり、また創作者も自由に活動すれば良い。それが立身するか否かは、また異なる論点である。