まどどブログ

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2022.10.29 衝動としての自殺について

2022.10.29

 

  • 自殺は衝動である

 自殺とは衝動そのものである。

 まさか、と私は思っていたし、むしろ自殺とは理性によって選択されたという点で崇高な所業であるとすら思っていた。しかし私が間違っていた。現にその私が、その衝動——自殺という衝動と戦っているのだ。私という存在の舵を奪い合う、そんな戦いに。

 自殺というのは明らかに衝動である。それは積乱雲のようなものである。突如として思考の中に現れ、たちまち思考そのものを覆ってしまう。私がどのように幸せであるか。私はなぜ生きていなければならないのか。そのような思考をいくらしていて、その思考がいくら頭の中に立ち上がろうとも、それらはたちまち、このような雲の雷鳴に掻き消される。

「お前は速やかに死ななければならない」

 忘れてしまうのだ。この雷鳴によって、自分がどんなに幸せか。自分がどんなに生きていたいか。自殺を求める雲はずっと、頭の中の上に張っている。

 そしてこの雲が思考のすべてを支配するようになったとき—–幸せであるとか、生きたいという欲求であるとか、そのような他の雲すらも取り込んでしまったとき、人は正気を失い死に至る。ここでの「正気」とは即ち本能である。生物である以上、死は明らかに選択されるべきでないし、基本的に選択され得ない。そして自殺とは、それに逆らう行為である。生物としての本能を失った状態、本能による正常な欲求すら妨げられている状態、それこそが正気の喪失である。

 つまり自殺とは正気の喪失であり、衝動的行動に他ならない。自殺者が自らを殺そうとしていて、誰かがそれを止めたとき、自殺者が二度と自殺を試みないのは、これによって説明可能な面もあろう。

 

 そして雲であるので、それは晴れるときもある。雲が晴れたとき、私はこうも思うのだ。

 ——ああ、俺はなんて恐ろしいことを考えていたんだ!

 さて、私はいつまで正気を保っていられるか?