まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.10.31 獣人でありたいというアノミーについて

2022.10.31

 

 書けば書くほど、追えば追うほど、求めれば求めるほど、彼らは私から離れていく。彼らとの間に深い深い溝があることを、そしてどうやったって私は彼らのところへ行けないことを、私は知る。そして私の絶望もまた、途方もなく深く沈んでいく。

 私はどうやったって人間で、この世界には人間しか居ない。獣人なんてどこにも居ないし、そしてまた、今後二度と私の前に現れることもない。愛らしい動物は動物のままで、彼らは決して私たちと同程度の知能を持つこともないし、彼らが言葉を発して我々と意思を共有することもまた、二度と無い。

 なんでもいい。早く連れていってくれ。そちら側の世界に。果てしない断崖を越えて、私を早くそちら側へ。愛らしい二足歩行の生物と共に生きる、素晴らしい新世界へ。

 もう私は私として生きていたくない。もうたくさんだ。私が人間であることも、社会が人間のものであることも、動物が動物のままであることも。

 どれだけ書こうがどれだけ描こうがもう同じことだ。どんなに私が獣人世界を示そうとも、それは決して、現実ではない。それでは決して、彼らの世界の住民とは成り得ない。私は現実が欲しい。私はリアリストなのだから。

 その現実が私を引き裂こうとしている。人間であるべき現実と、本来あるべき世界とが、私を綱引きのように正反対の方向から引いて、切り裂こうとしている。私はもう限界だ。いつも夢に見る。そちら側に居る私を。

 だから早くそちら側の現実へ。私はもう、人間でいたくない。壊れてしまう前に早く。

 神様。

 

  • 上記の客観的分析、並びに決意

 これを客観的に分析すればこのようになる。

 この者は自身の根幹——即ち自身そのものを強く嫌悪し、また他の像に強く恋い焦がれている。この場合、絶望の度合いとして極めて強い(アノミー的思念の最上級のものであるとさえ言える)ので、恐らくこの者の末路としては二つであろう——自殺か精神崩壊。あるべき自己とかけ離れた世界に絶望して命を断つか、その乖離による負荷に耐えきれず、自我を失うか。

 まあいずれにせよ、どうでもいい。何も死を求めているのではないが、もはやこの世界において生きていたいとも思わない。私は「別の領域において」生きていたい。

 そしてここに決意する。この苦悩は誰にも明かさない。仮に私が死者か廃人になったとして、その深淵は誰にも暴かれない。彼は何故このような末路へと至ったのか。楽しそうに過ごしていたというのに。このように周囲の者が囁やけば、私の勝利である。現実への叛逆なのであるから、私という存在を現実において欠片も残してはならない。

 

  • 補記

 直感として、恐らく二十四の誕生日は、今ここに在る私としては迎えられないだろう。精神分裂の段階としては大きく前進しているように、少なくとも私には感ぜられる。人間であることへの否定。それは精神として致命的なものだ。

 矢張りこうなったのもすべて労働のせい、だろうか。まあどうでもいい。私は本来在るべき姿を見出した。それが私の現状在るべき姿と異なっていた。だから私は狂おしく焦がれている。それに尽きる。

 なお私は、大言を吐いておいてなお書き続けるし求め続ける。それしか無いのだ。少なくとも現状で、そちら側の世界に赴く方法は、自身の頭蓋と限られた作品の中にしか無い。