まどどブログ

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2022.11.15 『バッドガイズ』ミスター・ウルフについて⑧ / 『バッドガイズ』のテーマについて

2022.11.15

 

  • 0.昨日のおさらいと本日のテーマ

 さて、昨日はミスター・ウルフが最終盤で「愛してる」と言えなかった理由について考察しました。

 と言いつつ、正直分かりかねたので、

「ウルフは離別を経てスネークをどうしようもなく愛してしまい、二度と離れたくなかったがために、普通であれば考える余地もないスネークからの拒絶を考えてしまったのではないか?」

 という妄想を展開して終わりました。

 さて、本日でバッドガイズの考察は一旦最後にしたいと思います。いつまでも述べていたいですが、時間がいくらあっても足りないので。

 今日は、映画『バッドガイズ』のテーマに関する考察です。

 

 

  • 1.『バッドガイズ』のテーマ①:良いことをすると気持ちが良い

 さて、映画『バッドガイズ』のテーマとは何でしょうか。

 いくつか考えられると思います。まずは表面的なところから見て、二つ。

 一つ目。原作通り、

‘Good Deeds. Whether you like it or not.’

 でしょうか。良いことをすると気持ちが良い。マーマレードが劇に関わり始めてから散々言われていることですよね。そしてあの作品はそもそも子供向けです。子供に向けたメッセージとしては、これが劇中で最も重要なものでしょう。

 ただ個人的には、何が「良い」ことなのか明確でない上に、途中から完全に隕石を巡るカーチェイスに終始していて、善悪の如何が完全に作品から抜け落ちているので、作品全体を通してこのテーマで一貫しているとは到底思えません。

 無論、作品内で何度も何度も強調されているので、これが重要なメッセージであることは間違いないでしょう。その問題とは分けて、あくまで個人的な感触として、これで一貫しているとは思えません。

 

  • 2.『バッドガイズ』のテーマ②:人を見かけで判断すべきではない

 これもテーマとしてはあると思います。特に善の祝祭でピラニアが歌っていた曲、 ‘Good Tonight’ に顕著でしょう。見かけだけで判断するな。俺たちを見てくれ。そういうメッセージです。登場人物の台詞にも、度々人々からの評価について触れられていましたし、これもまた大事なテーマだと思います。

 が、これはむしろ、補助的なテーマであるように感ぜられます。何故か。『バッドガイズ』は犯罪集団であり、見かけというより彼らの悪行で判断されている部分も大いにあるからです。

 例えば『ズートピア』のように、徹底して差別にフォーカスが当てられているならば、このテーマは説得力を持ちます。が、彼らは差別云々の前に著名な犯罪集団です。犯罪集団が差別云々と言っても、説得力はありません。現に、差別抜きで警察に追われる身ですし。

 もちろん、これも「良いことをすると気持ちが良い」と同様、重要なテーマではあります。が、メインではないのです。これをメインに描きたいのならば『ズートピア』のような作品にすべきであり、『バッドガイズ』のような作品の中にメインテーマとして投射することは相応しくありません。個人的な感想として。

 

  • 3.『バッドガイズ』の一貫した「テーマ」とは何か?

 揚げ足取りのような真似をして恐縮ですが、私には上二つのテーマについて、作品全体を通して一貫したものであると感じられません。では、何が一貫したテーマと言えるでしょうか。

 私はミスター・ウルフとミスター・スネークに注目したとき、それが初めて分かると考えます。映画『バッドガイズ』において描かれているものとは、ミスター・ウルフとミスター・スネークとが如何に「素直」になるのか、ではないでしょうか。

 

  • 4.最終盤の「愛」を叫ぶシーン:ウルフ、スネークともに「素直」になった姿

 昨日の記事で、私は最終盤のあの「愛」を叫ぶシーンについて、ウルフ・スネーク両者の成長の証ではないか、と指摘しました。

 ウルフは他人に対して素直だが、自分に対して素直でないところがあり、自分の中の葛藤や悲しみ、情けなさなどを表現することが出来なかった。一方でスネークは自分に対して素直だが、他人に対して素直でないところがあり、自分の感情を他人に素直に伝えることが出来なかった。

 それがあの最終盤では見事に覆されています。ウルフは自分に素直になったことで、自分の情けなさや動揺を他者に見せることが出来るようになった。スネークは他人に素直になったことで、ウルフに対する想いを率直に伝えられるようになった。

 つまりあの場面は、ウルフにとってみれば「何故だか自分の想いを言えない」という素直さであり、スネークにとってみれば「自分の想いを言葉にして伝える」という素直さなのです。お互いがお互い、自分にも他人にも素直になった姿が最終盤のあのシーンであるように、私には思えます。

 

  • 5.ウルフは如何にして「素直」になったのか?

 これを踏まえて考えると、ウルフやスネークが如何に素直になっていくのか、劇中で冒頭から終盤まで描かれていることが分かります。

 まずウルフについて。ウルフが自分に対して素直になる経緯は、大きく分けて四段階あると考えています。

 第一段階。完全に素直でないとき。

 ウルフは冒頭にあるように、元々「人々に受け入れてほしい」と考えているにも関わらず、「今ある手札で楽しく生きるしかない」という諦観の下で、人々のステレオタイプである「悪いオオカミ」として生きてきました。この時点で、彼は完全に自分の願いに背いているので、自分に対して素直ではありません。

 第二段階。葛藤しているとき。

 マーマレードやダイアンとの接触を通して、徐々に自身の中でその願いが強まっていきます。ここで彼は揺れ動きます。「悪いオオカミ」のままで居るか、変わるか。しかし結局、彼は仲間に一切話さず、「元に戻ろう」と一旦は葛藤を押し殺し、善の祝祭で犯罪計画を実行に移します。

 この時点では、揺れ動きつつ、まだ自分に対して素直にはなれていません。素直なら、スネークが言ってくれたように「計画を変更する」はずです。まだ彼は「バッドガイズのリーダーである悪いオオカミ」という自分の外形に囚われています。しかしダイアンの前で動揺を見せたりもしているので、徐々に借り物の皮は剥がれています。

 第三段階。部分的に素直になったとき。

 善の祝祭の中で、彼は完全に改心します。改心というか、元々持っていた願いの下で生きていくことに決めたのです*1。ここで初めて、彼は自分に素直な部分を見せます。

 ただ、この時点ではまだ完全に素直ではありません。「人々に受け入れてほしい」という自分の願いに素直になっても、まだ仲間たちの前では全然自分自身に素直になっていないのです。

 唐突に犯罪を中断されて疑問に思う仲間たち、怒りを顕にするスネークの前で、彼は依然としてクールにキザに振る舞い、詰られている際も黙るだけで、動揺や焦り、悲しみなどを一切見せません。挙げ句の果てには「俺たちもお荷物か?」というスネークの問いに「そうかもな!」と言い放ってしまいます。明らかに素直ではありません。

 やっぱり、まだ彼の中では仲間に対して「クールでキザな悪いオオカミ」でありたかったのでしょう。そうしなければ拒絶されると思っていたのかもしれません。とにかく、この時点ではまだ仲間たちに「弱さ」を見せられていません。故に彼はまだ、仲間たちの前では素直でない。

 第四段階。完全に素直になったとき。

 自分に素直になり、自分の願いにも、仲間を大切にしたいという思いにも、全部素直になったとき。具体的には、ダイアンに慰められたあたりからでしょうか。この頃になると、彼はわりと素直に行動します。

 例えばスネークが今にもヘリから蹴落とされそうになったとき、彼は躊躇いなく負けを認めて隕石を渡そうとします。警察署の前で見せてしまった以上、隕石を失えば彼らがまた無実の罪を被ることは明らかです。キザで策士な彼なら何か言いそうなところなのに、それもなく、あっさりと負けを認めてしまいました。実際彼らしくない行動のようで、ピラニアは驚いた顔のままウルフの方を見ています。これは、自身のキザなウルフという外形よりも自分の想いを何より優先させる、そういう素直さの表れであると思います。彼はスネークを愛していますから。

 そして、その極めつけが最終盤のあのシーンに繋がる、というわけです。もちろん彼は根がクールでキザなオオカミなので、その特徴が消え失せることは無いですが、それと同時に、今まで人に見せていた外形より自分に素直になったのが、最後の彼なのではないでしょうか。

 

  • 6.スネークは如何にして「素直」になったのか?

 反面、スネークはどうでしょうか。ちょっとスネーク目線で映画を観ていないので分かりかねますが、明らかに冒頭から終盤にかけて変化していたと想います。

 冒頭、彼は他者に対してまったく素直ではありませんでした。誕生日嫌いを示しておきながら、内心喜んでいるところとか。ウルフがどこか変わっているのを不安に思っていながら、直接的に言えないところとか。

 しかし終盤、ウルフとの口論や離散を経て、彼はウルフに対して「俺も愛してるぜ」と言うまでになった。これもまた、冒頭から終盤にかけて一貫して描かれているものであると考えるべきでしょう。

 

  • 7.まとめ:映画『バッドガイズ』のテーマ

 以上から、映画『バッドガイズ』のテーマには、こういうものもあると言えます。

 ミスター・ウルフとミスター・スネークは、どのように素直さを手に入れていくのか?

 ミスター・ウルフは、どうやって自分に素直になったのか?

 「人々に受け入れてほしい」という願いや自身の「弱さ」を中で抱えていながら、それに目を背けてきた彼は、こうして「弱さ」を受け入れ、願いを叶えたのです。

 

 以上です。

 明日からはまた、散逸的な記事を書く日々に戻ります。

 ありがとうございました。

*1:ちなみに、前も述べたかもしれませんが、ここで他のメンバーが改心していないのは、ウルフだけが「受け入れてほしい」という願望を強く抱いていたからだと思います。ウルフは元からそう強く願っていたので、あの場面ですんなり改心しましたが、他のメンバーはわりと刹那的に生きているので、周囲の人々の歓声も、単なる犯罪の経過点にしか映らなかったんだと思います。