2022.11.17
- 映画『RRR』の簡潔な感想
『バッドガイズ』や『チェンソーマン』により、私の中で映画に対する興味がかつてないほど高まっている。
その活動の一環として先日、RRR、という映画を観てきた。いくつか感想を述べたい。
・胸の底からむず痒くなるような反英プロパガンダ映画、と評価するのが相応しい——日本人にとっても他人事ではないのだが、どうやら皆この映画が好きらしい。不思議なことだ。
・エンディングはプロパガンダ果汁100%でむしろ興奮した。
・残虐な支配を経験した者はこれほどまでコンプレックスを拗らせてしまうのか、と興味深いものであった。
・外地の駐在官になった場合、気苦労は絶えないことだろう。彼らは国家ではないのだから。
・展開が私好みでない冗長さで、白人をぶっ殺し始めるあたりで飽きてしまった。
それはさておき、私が本日注目したいのは「これを日本人が作ることは可能か?」である。
この問いは簡潔にこのように答えられる。
日本において死とは穢れであるから、不可能である。
- 異文化と死
劇中では多くの人間が殺される。主に主人公が殺す。
ところで日本において、古来より死とは穢れである。今ですらそうだ。映像作品はもちろんのこと、なんと小説においてすら、死は非常に婉曲的に描かれる。千年以上一貫して、日本において死とは穢れである。
故に日本人は ’RRR’ を作れない。我々はあれほど多くの人間の死を直接的に描写できないし、そもそも描写しようとも思わない。想像の範疇に無いものを作ることは出来ない。
これが、我々が ‘RRR’ を作ることの出来ない、最も簡潔な理由である。そしてこれこそ異文化なのであったと、私はしみじみ思うのであった。