2022.11.18
- 死刑とは非合理的な刑である
私はつい先程まで、死刑に対して肯定的な考えを抱いていた。それは遺族感情の観点から、死には死を以て償うべきであると考えていたためである。
しかし、たった一つの観点から、死刑は廃止されるべき刑罰である、とたった今、思い至った。それは、死刑は人間という社会資源を無駄に損なう行為であるという点である。
- 貴重な資源を無駄にしない
人間は重要な社会資源である。人間は社会を維持するために、各々を消費する。死刑はその社会資源を損なう。殺してしまうのだから。
損なうだけではない。死が刑罰そのものであるということで、執行までは一切の労働をせずに生きていられる。つまり、死刑に処せられることが確定した時点で、彼らは社会資源としての役割を何ら担わないものとなる。
このことを考えれば、死刑は社会資源の観点から、あまりに無駄である。合理的に考えれば、終身刑にでも処して、刑務所の中で生涯労務に従事させることによって、社会資源としての役割を全うさせるべきである。仮に僅かな貢献であったとしても、社会の発展にとってはそれが望ましい。少なくとも、社会資源としての価値を完全に損なう死刑よりかは利益が生まれる。
故に死刑は非合理的な刑罰と言えよう。社会資源は貴重なのだから、活用しなければならない。特に少子化の著しい日本においては。
なお、私が被害者の遺族となった場合、この限りではない。社会的感情と個人的感情とは分離される。