まどどブログ

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2022.12.10 映画『バッドガイズ』について⑤ / 観客に対するアプローチについて

2022.12.10

 

  • 『バッドガイズ』:子供向け映画でありつつ大人も楽しめる映画

 幾度となく『バッドガイズ』を観ていて、やっと段々と冷静に、客観的に、映画鑑賞という観点でこの作品と向き合えるようになってきました。そこで気づいたことを今日は書き留めます。

 この作品は誰を向いているのでしょうか。二つの方を向いています。一つは子供、もう一つはそれ以外、つまり大人です。そして、その両者に向けて、それぞれ異なる手法によって語りかけているのです。

 まず子供。子供に対しては、主に台詞によって、とても分かりやすい形でメッセージを伝えようとしています。善いことをすると気分が良いであるとか、他の人がどう思うかではなく自分自身の物語を紡ぐべきだ、とか。そういうことを登場人物に明言させることによって、何がこの映画のメッセージなのか、子供に伝わるように工夫されています。

 一方、大人。大人に対しては正反対のアプローチを試みています。注意していなければ分からないような細かい要素が散りばめられているのです。登場人物の細かな動きや表情の変化。過去の映画のオマージュ。やや修辞的な言い回し。このようなものを各所に仕込むことで、大人をも虜にしてしまうような工夫が為されています。

 そしてこの二方向のアプローチに、大人・子供が共通して楽しめるような派手なアクションシーン、登場人物の愛らしさなどが織り交ぜられています。だからあの映画は、きっと大人が観ても子供が観ても楽しめるのです。言うなれば『バッドガイズ』とは、子供向けでありつつ大人も楽しめるように工夫を施したもの、であると考えます。

 

  • 『オトナ帝国の逆襲』と『バッドガイズ』との相違点

 これは個人的に、『オトナ帝国の逆襲』と共通するようなものがあると言えます。どちらも「全年齢的に楽しめる」という点で共通しています。その意味で、この二つは特筆すべき価値があると私は思えます。

 ただし、これらの映画はただ「全年齢的である」という他に共通点を持ち得ません。何故か。『オトナ帝国の逆襲』の場合はむしろ、子供向けに擬した大人に対する強烈な諷刺映画、とでも言うべきものだからです。

 あの映画において、かすかべ防衛隊はむしろ補助的な役割で、その主軸は徹頭徹尾「我々は何があろうと未来に進まなければならない」「我々は大人にならなければならない」という指摘に置かれていました。二十世紀博やオトナ帝国といった中心的な舞台ですら、現代の幼児化する「大人」への諷刺を有機的に描く装置であったのです。それは決して子供に理解できるものではないし、そもそも理解させようとも思っていないとすら感じられます。つまりあの映画の主眼はどこまでも「親」でした。だが、それではクレヨンしんちゃんの映画として成り立たないので、子供でも楽しめるような描写を所々に入れ込んだ。あの映画の構成はそうみるべきでしょう。

 これは『バッドガイズ』のアプローチと真逆のものです。『バッドガイズ』のテーマは結局

‘Good Deeds. Whether you like it or not.’

 であり、子供向けのものです。そこに大人の視点は入り得ません。あの映画はいくら我々大人が楽しめると言っても、根本的には児童向け映画であり、我々大人の心に重く響き渡るような核を感じることは難しい——少なくとも私には出来ません。個々の登場人物は魅力的だが、それで何かを深く考えさせられるような体験は起こり得ない。

 

 だからといって何かあるわけでもありません。ただ、同じ児童向け映画でもここまで違うのか、と思っただけです。映画は奥深いですね。