まどどブログ

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2022.12.13 石炭の右としての邦画について

2022.12.13

 

  • 会話ばっかの泣いてばっか

 先日、『ラーゲリから愛を込めて』という映画を観てきた。

 正直言って非常にお粗末であった。天才的な説明不足であるし、尺の差配に疑問を感じるし何より、会話ばっかの泣いてばっか。数人で話して泣いているシーンばかりが流れていく。終始ごく小さな範囲だけ映して、はい、おしまい。失望した。退屈で退屈で仕方がなかった。

 ここで私はあることに気づいた。そういえば予告編で、広大な範囲が映された場所はあっただろうか、と。恐らく殆ど無かったはずだ。少なくとも記憶にない。

 ラーゲリに限らない。邦画の多くはそうだ。予告編からして、会話、会話、会話、涙。予告編からダイナミックな描写をどんどん入れてくるアメリカ映画とは明らかに異なる。そういうことだ。邦画の殆どはもう「会話ばっかの泣いてばっか」なのだ。

 

  • 石炭と邦画

 失望した。邦画に。

 なぜ会話と涙ばかり取り入れられるのか。単純なことだ。予算がないから。予算がないので、多くのエキストラを集めることも、緻密なセットを用意することも、CGを駆使することも出来ない。これで雄大な景色など映し出せるはずもない。だから人にだけ着目して、狭い範囲だけ映す。そうすればコストは抑えられる。そういうからくりだ。

 だがこれで面白い作品が作れようか。不可能だ。少なくとも、アメリカ映画やインド映画のような、映像が壮大なストーリーを語るものには劣る。会話だけで構成されている映画など、脚本を読めば事足りるのだから。

 これで私は悟った。邦画は斜陽産業だと。もうアニメに移行する他無い。現に、ラーゲリより『すずめの戸締まり』のほうが余程予算を多く確保しているようにも思える。

 石炭の次は邦画か。悲しいことだ。