まどどブログ

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2022.12.14 『ラーゲリより愛を込めて』の感想

2022.12.14

 

 さて、今日は『ラーゲリより愛を込めて』の感想でも述べたい。

 

 

  • 面白かったところ

・演技が皆上手だった。

・「故人が最後(決して「最期」ではない)の言葉を伝えに来る」というのが私の癖であることを知った。

・主人公の遺書を暗記していた四人が戦後一人ずつ妻の家を訪ねるシーン。ポケモンリーグの四天王戦みたいで面白かった。あの場面はこれから「ポケモンリーグ」と呼びたい。

 

  • 面白くなかったところ

哈爾濱の描写のお粗末さ

 冒頭から失望は始まる。哈爾濱の描写が本当にお粗末だった。

 明らかにセットだと分かるお粗末な背景に、ただ何かが点滅するだけのお粗末な空襲。空襲で崩れ去る建物もどきの「何か」。驛舎や汽車の描写は省略。都市の全景描写は無く、ごくごく狭い範囲のみ。とても令和四年の映画とは思えない。もはや惨劇だ。哈爾濱を一体何だと思っているのか?

 

説明不足の天才

 全体を通して天才的なまでの説明不足である。

 他の者に飼われていたクロがどうしていつの間にか主人公に忠誠を誓ったのか。どうしてボコボコにされていた士官は途中から殴られなくなったのか。士官をボコボコにしていた同志諸君は一体どこに行ったのか。同志諸君と一緒になって士官を殴っていた者はどうなったのか。ソ連の敵国・アメリカの歌を皆で歌っているのに何故ソ連兵は動かないのか。なぜ遺書をバラバラに渡されて遺族は何も言わなかったのか。何の描写もない。

 とりわけ赤化運動の描写はお粗末だ。一言でも良いから「なぜ殴られなくなったのか」「共産主義者はどうなったのか」について言及すべきであった。

 

ポケモンリーグ

 ポケモンリーグがとても退屈だった。一人ずつ来て読み上げる意味が分からない。第一、バラバラに来てバラバラに渡されたら遺族にとって迷惑であると考えはしなかったのだろうか。すべてまとめて完全体の遺書を作成してから渡すのが遺族に対する礼儀というものであって、あれは明らかな自己満足だ。

 そういう不自然な行為に貴重な十数分を使うのは馬鹿げている。しかも他にもっと説明すべきことがあったにも関わらず。あまりにお粗末だ。

 

ご都合主義に利用される犬

 完全にクロがご都合主義を強引に押し進めるための装置として扱われていて悲しくなった。どうして犬が何の躾の描写もなしに突然人間の言葉を完全に理解してボールを取りに行くのか。どうして犬がはるばるハバロフスクの内陸からナホトカまで何の手がかりもなしに、しかも引揚船をめがけて一目散に走ってくるのか。不自然だ。

 

会話ばっかの泣いてばっか

 ラーゲリに限ったことでも無いのだろうが、会話ばっかの泣いてばっかだ。そう会話ばかりなのだ。映像で語ることもなく、登場人物が心情をすべて吐露して泣いて励ましておしまい。その繰り返し。飽き飽きする。映像で語ることのない映画など、如何ほどの価値があるのだろうか。あれなら脚本を読めば事足りるだろう。

 少なくとも、あんな心情を吐露させる時間があるのなら、他に説明すべきことはあったはずだ。

 

 その他にも色々と気になる点はある。戦前の根室の人間が本当にい抜き言葉を用いるのか(俳句という形なので「今の言葉遣いにした」という言い訳は通用しない)。ソ連兵は本当にあんな生ぬるいのか。鞭で打っているはずなのに通常の殴打音しかしないのは何故か。引揚者と内地人との間で何の問題もなく会話が成立しているのは何故か。一つ一つ例を挙げれば尽きることがない。ここで筆を止めたい。

 

  • この映画を楽しむには?

 このように、個人的に二つの意味で面白からざる作品であったが、実はそれを解消する方法がたった一つだけある。この作品を、単なる「人情劇」だと思いこむのだ。

 哈爾濱から物語が始まること。シベリア抑留であること。ソ連の管理下に置かれていること。戦争を題材にしたものであること。そういう煩わしい背景はすべて忘れる。そして単に、愛する家族と離別してしまうも友情を得た青年の物語として捉える。

 そうすれば、あの説明不足もご都合主義も何もかも気にならなくなる。それは不要な描写なのだ。青年の物語に関連しないのだから。青年に纏わる悲喜こもごもだけ感じられれば、あの作品では十分だ。

 

 舐められたものだな。ご先祖様も。

 引揚者の孫として、私はひどく残念に思う。

 

  • 補記:この作品はフィクションです

 なお、史実を基にしている以上、フィクションという言い逃れは許されない。少なくとも、フィクションだからといって説明不足が許されるわけではない。