まどどブログ

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2022.12.15 大人がつまらなくなる理由について

2022.12.15

 

  • なぜつまらない大人が多いのか?

 人間にはそれぞれ個性がある。少なくとも、生まれたときには個性を持っている。生まれながらにして個性の無い人間などごく僅かで、それぞれ他者にはない、かけがえのない

 しかし、人間は成人したころから、徐々に個性を失う。他の誰かに置き換えたところで何の支障もない、そういう人間へと徐々に変化していく。私はこれが不思議でならなかった。個性に恵まれ面白かった人間が所属団体の、パートナーの、酒の、あるいは仕事の話しかしなくなる。そして、その状態に陥った者は決まってこう言う。

「今が楽しい、今が最高だ」

 かつて居た君のほうがよっぽど楽しい人だったのに。

 

  • 大人がつまらなくなるからくり

 では、何故。恐らく、擬していた「自分」がいつの間にか本来持っていた自分を塗り替えてしまったがためであろう。

 人間はその性質上、生得的な個性とは異なる役割を演じる必要がある。例えば仕事であれば、自分の欲求や願いを捨てて、仕事上求められる人格において仕事に取り組まなければならない。あるいはパートナーを持てばその相手として。家族を持てば父や母として。つまり人間は成人するにつれ、自分自身の求めることとは異なる顔を見せなければならない時が来る。要は「立場」を演じるのだ。

 それ自体は已むを得ない。人間は群れることで生きているし、その群れの機能を維持するためには、自分の願いだけを叫び続けるわけにはいかない。機械を動作させるためには、歯車を演じなければならない。それが「立場」である。そして「立場」の性質上、どうしても演じるキャラクターは何の変哲もない、普遍的なものになってしまう。管理職は管理職として、ベンチャー社員はベンチャー社員として、父親は父親としての、代替可能な人格を求められる。

 しかし、どうも人間というのは、演じていただけの「立場」をいつの間にか自分に置き換えてしまう。仕事上で求められている人格——例えば管理職——というのは仕事上のものでしか有り得ないはずなのに、何故か私生活でもそのような性質を見せる。ベンチャー社員は勤務時間外でも仕事の話をするようになるし、管理職は家族に傍若無人に振る舞うようになる。

 あるいは父親も同様である。父親も、家庭の中において父親なだけであり、友人と接しているときは生まれながらにして持っている個性を抑圧する必要など無い。しかし父親は友人と会ったときでも父親である。

 このようにして、キャラクターとしての「立場」はやがて「自分」そのものになる。そして「立場」は代替可能なものである。つまり、このようになった者は皆、代替可能な人格しか持ち得ない。

 これが、人間が成長するとつまらなくなることの真相である。人間は「立場」に侵食されたとき、代替可能性を手に入れ、かけがえのない自分を失う。言い換えれば、そのような人間は決して自分のことを「かけがえのない自分」と呼んではならない。代替可能なのだから。