まどどブログ

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2022.12.18 セックスについて

2022.12.18

 

 

  • セックスとは何か?

 セックスとは何か?

 セックスとは生殖である。そんな無粋なことは言わない。第一、そのような価値観は、令和の時代において古臭い。そういえば、今の高校生はトランスジェンダーの告白を——少なくとも建前として——受け入れる姿勢の者が多いようだ。興味深い。我々世代の堅物に是非とも説教をしていただきたい。

 閑話休題。セックスとは何か?

 凹部を凸部に接続することで、他者と一体になる行為のことである。異論は無かろう。同性愛者であろうと異性愛者であろうとトランスジェンダーであろうと、基本的にセックスにおいては自身の突起部を自身の穴へと放り込む。別にペニスでなくとも構わない。舌を聖なる空洞へと注ぎ込むのも突起部を穴に突っ込んでいるのだから変わらない。その行為によって、他者という異なる存在は一つの存在へと成り果てるのだ。

 つまり「異」が「一」になること。それをセックスと云う。

 

  • 捕食とはセックスである

 さて、ここで私は考えた。セックスの本質とは、「異」が「一」へと成り果てること。では、他者を喰らうことはセックスそのものではないか?

 例えばクマが人間を喰らうとする。クマと人間とは動物として遠く隔たっている。それがクマの捕食、そして消化という形で人間はクマの肉体を構成する栄養となる。「異」が「一」になる。セックスではないか!

 他の例でも同様である。捕食は「異」が「一」となる現象であり、儀式であり、セックスである。

 

  • 我々の食事はセックスだろうか?

 ここで一つの疑問が浮かび上がる。我々の食事もまた、セックスだろうか?

 答えは、否。我々は食事においてセックスをしていない。厳密に言えば、我々の食事は自慰行為に等しい。セックスは生けるもの同士で行われるからこそ尊い。生けるものを喰らうからこそ、「異」を「一」にすることに困難が伴う。一般に、困難が伴うものには高い価値が付与される。故に生けるもの同士の捕食はセックスとして尊い

 一方では我々は既に死したものを喰う。死したものを喰らったところで、そこには何ら困難が伴わないので価値の無いセックスとなる。むしろ死姦という意味では自慰行為だ。

 いま話題の漫画家先生は、この観点でメダカとセックスをしていない。反面、東京喰種はその実、セックスシーン集である。

 

  • 人間はセックスを愉しむか?

 以上より、真のセックスに生けるもの同士の捕食、自然界の捕食は含まれる。クマが人間を喰らう。オオカミが人間を喰らう。よろしい。それはセックスである。セックスであるのだから、熱情的であることが好ましい。恐怖に震えつつも、パートナーの一部と成り果てることに一種の快感を身に宿す。出来ればそうやって喰われるのが良いだろう。喰われる最中で相手の身体に触れて爪痕でも遺せばなお良い。パートナーには永遠に「私」が刻まれる。彼が死ぬまで。

 だから私はたまに夢を見る。オオカミに喰われて死ぬ夢を。少し夢想して、恍惚に身を投じかけたところで、不老不死を志す理性が私を恍惚から救い出してくれる。そうとも、私は不老不死になりたいのだ。オオカミに喰われて果てるのも心地良いだろうが、それより生き永らえるほうが余程快楽的である。

 

  • 不老不死は私を見よ

 これを書いている最中にもゾクゾクする。性的興奮ではなく、もっと高尚な、神を抱いているかのような、啓かれた心地。不老不死であれば、今直ぐオオカミに喰ってもらいたいというのに。

 なぜ私は不老不死ではないのだろうか。死は私からあまりに多くのものを奪う。

 

 お分かりのように、今日は洋画を観たのだ。