まどどブログ

普通の二十代前半男性が、夢を見るか、破滅するか。そんな人生ドキドキギャンブルの行く末を提供しています。

2022.12.19 ブロマンスについて

2022.12.19

 

 

  • ブロマンス作品は真に「ブロマンス」か?

 誰かが『RRR』のラーマとビームとの関係をブロマンスだと云った。そのような者からすれば、『トップガン』のマーヴェリックとルースも、『プロメア』のガロとリオも、同様にブロマンスなのだろう。

 しかし私は男として言わなければならないことがある。彼らの関係性はあくまで「親友」であって、決してブロマンスではない。親友とブロマンスとは似て非なるものである。

 

  • ブロマンスと親友は同義か?

 そもそもブロマンスとは何か。調べてみれば、概して「男性同士のアツい友情」のことを指すという。しかしそれでは親友と区別できない。仮にブロマンスがそのような感情ならば、親友は一体どのように定義されるというのか。親友とブロマンスとは一体どのように異なるというのか。

 ここで我々は「ブロマンス」という単語の源流に立ち返らなければならない。ブロマンスとはブラザーとロマンスとを組み合わせた造語である。つまりブラザーでロマンスな関係性がブロマンスなのだ。一般的な友情にロマンスは発生し得ない。これがブロマンスと親友との壁であろう。密接な関係であることは事実だが、そこにロマンス的要素が含まれるか否か、という点で決定的に異なる。

 

  • 男性同士の「ロマンス」とは何か?

 では、男性同士の「ロマンス」とは一体どのようなものなのだろうか。ロマンスの有無とはどのようにして見分けられるものなのだろうか。

 以下はあくまで私の個人的な価値観に基づく見解である。概して、ロマンスの有無はその関係性がウェットであるかドライであるか、その点に尽きると思われる。

 そもそも男性同士の友情はドライである。いくら仲が良くとも、決して互いの内面にまで踏み込まない。あくまで外面で交点を持つ。相手を自身の世界に取り込まず、独立した他の個体であると認識している。男性同士のスキンシップが女性に比べ少ないのも、それを示している。無論、個人差はあるだろうが、基本的に男性同士の友情というのは、独立個体との交流に過ぎない。

 その原則——ドライであるという関係性——から離れたものが、ウェットな関係性である。相手を自身の世界に取り込もうとする。例えば身の上話をひたすら話したり聞いたりするのは、相手を自身の世界の中で咀嚼するための一つの行動である。あるいはその相手と離れることを極度に恐れるのもその一つである。相手との離別を恐れるのは、自身の世界の安定の崩壊を恐れることに他ならない。そして相手との離別によって自身の世界の安定が崩れるのは、相手を自身の世界に既に取り込んでいることの示唆に他ならない。

 そしてウェットであればロマンスであり、ドライであればロマンスではない。そう考えられるであろう。

 

  • 真のブロマンスとは何か?

 さて、基本的に男性同士の友情とはドライなものであると述べた。ウェットな関係性はその原則から離れているので、我々男性からすれば違和感を覚える。ブロマンスというのは、男性から見て違和感を抱く関係性とも言えよう。

 この意味で、先に挙げた三作品はどれもブロマンスではない。『RRR』も『トップガン』も『プロメア』も、互いが不干渉であるという点で親友の域を脱しておらず、ブロマンスと言うには値しない。少なくともウェットではない。

 では、何がブロマンスなのか。私としては二つ例を挙げたい。

 一つは『バッドガイズ』の、ミスター・ウルフとミスター・スネーク。ミスター・ウルフはミスター・スネークに対して並々ならぬ気遣いを持っているし、何より離れ離れになることを心の底から恐れている。対してミスター・スネークも、ミスター・ウルフのことを他の者とは明らかに区別して見ている。普通の友情ではない。

 もう一つは『ビースターズ』の、レゴシとルイ。久しく読んでいないのであまり覚えていないのだが、レゴシもルイも、互いが離れてしまうことを気にしすぎているというか、相手を求めすぎているところがある。

 そう、ブロマンスの分かりやすい特徴だと個人的に思っているのは、相手を異様に求めているところである。ミスター・ウルフにせよレゴシにせよ、相手との別れを惜しみすぎている。一般的な友情ではあそこまで相手のことばかり考えない。それこそウェットな関係性であり、男性としては珍しいものである。と、思う。