2022.12.30
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NEVER GOIN’ BACK の感想
先日、'NEVER GOIN’ BACK' を観てきた。今年観た映画の中で三番目くらいに面白い映画であった。今日はこの作品の感想を述べたい。
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下品という芸術
この作品は端的に言って、下品である。下品としか言いようがない。出てくる人々。人々の言動。舞台。作中で繰り広げられる作戦の数々。そのすべてが下品で、無学で、自業自得。おぞましいほどに最低最悪の光景が二時間我々の前で繰り広げられる。
そして、恐ろしいことに、そのすべてがもはや心地良い。あまりに突き抜けて下品であるために、もちろん序盤では不愉快さを覚えないこともないが、いつの間にか「次はどんな下品が待っているのだろう」と期待してしまう。そういう新鮮な体験が、この映画には秘められている。下品を映像作品という一つの芸術として高めてしまったのだ。
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我々は人生を楽しめているか?
そして恐るべきことに、私はこの作品で涙の感すら覚えてしまうものであった。泣いてはいないが。とことん下品でありつつ、ちゃんと題名に回帰しているのだ。
なお、以下はネタバレを含むので注意されたい。
この作品とは、詰まるところ「二人の少女がたくさんの困難を乗り越え、海に行く」というものでしかない。そこにテーマはあるのか。
海を見るためであれば、どんな困難があろうとも、彼女は決して諦めない。次から次へと下品な手段を思いつき、どんな最悪な状況も最悪な手口として活用する。そして最終的に「海」を——それももっと良い「海」を手に入れる。その不屈さ、突き抜けた前向きさこそ、この作品のテーマなのではないだろうか。
これを象徴するのが、作中における店長の台詞である。ヤクをキメてハイになっている彼女らを解雇する場面で、彼はこのように言った。
「クソみたいな仕事でも希望はあった。君たちのような」
「俺みたいになるな。人生を楽しめ」
これこそ ‘NEVER GOIN’ BACK’ なのではないだろうか。
こうも言えよう。この作品は一見すれば、下品な少女たちが海を見る話でしかない。しかしこの奥底には、きっと「普通に生きる」という口実に対する批判が織り込まれている。人生を楽しめ。それはきっと彼女らだけではなく、我々観客すべてに対する呼びかけなのだ。
私にはそう思えてならない。それとも、私自身の現状と重ね合わせてしまっているのか?